常識は、時代や社会やいろんなものによって変わるので、ほんとにそうかな?という視点は大事だと思います。
内容には関係ありませんが、この本に使われている日本語は、なんかすごいなぁと・・・ネット上で使われている言葉に疎いので、新鮮というかなんというか(;^_^A
「おわりに」にはこんな風に書いてありました。
P220
僕の発言はしょっちゅう炎上する。
いわゆる「常識」をものともせず、なんでもズバズバと口にしてしまうからだろう。
僕はタレントでも、コメンテーターでもない。たとえテレビに出て「不適切」な発言をし、テレビ界から干されたとしても、ノーダメージだ。
世間、などという曖昧なものからどんなに叩かれようと、痛くもかゆくもない。
本書を最後まで読んでくれたみんなには理解してもらえると思うが、僕はけっして思いつきのトンデモ発言をかましているわけではない。自分なりの視点をもって思考し、論理的に意見を述べているだけだ。
正論を言って炎上するのなら本望だ。
「常識」を疑え。この本の「はじめに」で、このように書いた。
察しのいい読者は、もう気づいているかもしれない。僕は、僕がこの本で主張することについても疑ってもらいたいと考えている。
・・・「常識を疑う」代わりに「堀江の言うことを信じる」のでは、まったく意味がない。自分自身の頭でなんにも考えていない、思考停止状態に陥っているも同然じゃないか。この本を上梓した意味がなくなってしまう。
「それっておかしくね?」と、少しでも心に引っかかることがあったのなら、自力で情報収集をしてみてほしい。どこまでも食い下がり、思考する癖をつけてほしい。そのうえで反論してもらうのは大いにけっこうなことだ。
僕はよく、新聞やテレビなど、大手メディアの報道をディスるけれど、だからといって「マスゴミの言うことは全部ウソ」なんて決めつけることもまた、間違っている。そのことにも気づいてほしい。
「常識」はいつだって、僕たちの自由な思考を縛ろうとする。この事実をスルーしてはいけない。鈍感になってはいけない。
「それっておかしくね?」と、気づける人にしか、大きなチャンスはやってこない。・・・