怪獣記

怪獣記 (講談社文庫)

 やっぱり高野秀行さんの本は面白いです(笑)

 怪獣記、まだ読んでなかった♪と気がついて読みました。

 どんな内容か、巻末の解説の部分を引用します。

 

P286

 UMA(未確認不思議動物)は、男子なら一度は通過する世界だろう。

 私だって、子供の頃は、ネッシーだ、イエティだ、サスカッチだと聞いては、小さな胸を躍らせていたものだ。それがいつしかすっかり関心を失くしてしまったのは、結局のところいまだどれひとつとしてその存在が確認されないからだ。・・・今じゃ、何を言われても、どうせウソだろ、と条件反射してしまう。狼少年(雑誌やテレビ)の言うことなんて、もう信用しないのである。

 つまり私はこう考えたのだ。

 

 雑誌やテレビの話は信用できない。

 ↓

 UMAなんているわけがない。

 

 ふつうはそうなると思う。だが、高野秀行は、違う。どうやら彼はこう考えたらしい。

 

 雑誌やテレビの話は信用できない。

 ↓

 もっときちんとした調査が必要だ。

 

 たしかに、狼少年の前には最後に本当に狼が現れ、少年の羊を食べてしまうのである。すなわち狼は実在する。つまり狼少年が存在するからといって、狼が存在しない証拠にはならない。

 そういう意味では彼は正しい。そして実際に自分の身をもって調査に赴く。ますます正しい。

 本当かどうかきちんと自分で調べる。

 UMAに対するこれほど正しい接し方があるだろうか。

 この本は、高野秀行トルコ東部のワン湖に棲息する(かもしれない)謎の怪獣ジャナワールを追って、現地ジャーナリストらを巻き込みつつ繰り広げた、調査旅行の一部始終を収録したものである。

 ここでももちろん彼の正しさは、存分に発揮されている。

 たとえば本の前半、ワン湖のUMA、ジャナワール騒動の発端となったビデオがフェイク(偽物)であることを確認した高野秀行は、結論を出したというよりスタート地点に立った気がすると書く。

 ・・・

<今、ちゃんとした情報を握り、客観的にジャナを調査できる人間は世界でたったひとりしかいない。

 もちろん私だ。やっと出番が来たという気すらする>

 読んでいて思わず、拳を握りしめ、おおおお、と盛り上がった。なんてかっこいいんだ高野秀行

 かっこよく、かつ、世界にこれほどヒマな人間が他にいるだろうか。

 いや、失礼。

 高野作品はどれもそうだが、そこには他人から見ればどうでもいいようなことに、実にまっとうに真摯に、そして情熱的に取り組む姿勢が貫かれている。

 ・・・

 後に彼は、『間違う力―オンリーワンになるための10か条』という自己啓発本を書き下ろしているが、そこには、ふつうの常識的な自己啓発本には絶対出てこないようなテーゼ、たとえば「他人のやらないことは無意味でもやる」「怪しい人にはついていく」なんて項目が並んでいて、大丈夫かこの人は、と心配になってしまうほどである。一方で、「無理そうなことでも、やってみると七、八割はうまくいく」というようなことも『放っておいても明日は来る』で書いていて、全然根拠ないのに、いったいどこからそんなお気楽な人生訓が生まれるのか、実に参考にしたい。

 そうなのである。高野秀行の本を読んでも、また彼の行動を傍で見ていても、そこに感じるのは、能天気な明るさなのである。景気がいいからとか、将来有望だからとか、そういう前提があっての明るさではない。理由なき明るさ。どんなに世界が不景気であろうが前途多難であろうが関係ない明るさ。

 だからこそわれわれは、彼の本を読み、その無節操な生きざまに触れるうちに、いつしか勇気づけられている自分を発見するのだ。

 なにごともなんとかなるんじゃないか。

 ・・・

 痛快。

 この作品の印象をひとことで表すとすれば、その言葉に尽きる。