常識はデタラメ

一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート (角川文庫)

 何か他の本を見ていた時に、こんな方がいたんだと知り、やり投げ選手だった溝口和洋さんのルポルタージュを読みました。すごく繊細で感覚の鋭い方が、傍目には破天荒にしか見えないという、人間て面白いなとびっくりしてしまう内容でした。

 

P43 

 ・・・ウェイトも、ただやれば良いのではない。

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 ・・・「やり投げのためのウェイト」をおこなわなくてはならない。・・・

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 では、その種目に合ったウェイトとは一体、どういうことなのか。

 一言でいえば、ウェイトは筋肉を付けると同時に、神経回路の開発トレーニングでなければならない。筋肉を動かすのは、筋肉ではない。脳からつながっている神経が動かすのだ。

 この神経がつながっていないと、せっかく付けた筋肉が使えない。結果、体が重く感じてしまう。・・・

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 また、肘を痛めたときによく「チューブ引きをやると良い」というが、これもデタラメだ。私も学生のときに「チューブ引きはやればやるほど良い」と勧められたので、一日中やったら肘を痛めた。世の中の常識というのは、ただの非常識だと思った方が良い。もしチューブ引きをやりたいなら、故障する前からやらなくてはいけない。

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 休みの日は、大体パチンコをしていた。一度当たると大きいスロットをよくやっていたが、これは体を動かさないし、やり投げのことを考えずにすむ唯一の時間だった。しかし勝負事だから、闘争心だけは忘れないのも良い。

 身体的に休みをつくる理由は、実は頭(精神・思考)も時々、余白や空白をつくってやる必要があるからだ。毎日毎日、一つのことで頭を一杯にしていると、壁などに出会したとき立ち行かなくなり、思考の柔軟性が失われることがある。

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 誰かが言ったことや、陸上界で常識と言われていることは、「本当か?」と、必ず疑問に思うようにして、自分で実践して納得するまで取り入れなかった。その結果わかったことは、「常識と言われていることのほとんどはデタラメだ」ということだった。

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 ・・・日本選手権の前夜、私はナンパに成功して朝方まで女といたが、さすがに翌日は二日酔いと、いつもと違う動きをしたので疲れていた。それでも八〇m台を投げて優勝したが、これは何か不意のことが試合前に起こっても、対処できるようにと考えて、意図的にしていたことだ。

 こんなことは誰にも理解してもらえないが、私のやり投げやそのトレーニング自体、誰にも理解してもらえないので、他人からどうこう言われようが、全く気にしない。

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 毎晩のように呑んでいたことを、非難されたことはある。国際試合のときも、終わった後は後輩を連れて呑みに出るので、同室の先輩、吉田雅美から締め出されたことは、陸上界でも有名な話となってしまった。

 しかし、これにも私なりの流儀がある、その日の限界まで達し、自分なりに満足した試合、練習ができたときだけ呑んでも良いのだ。中途半端な練習しかできなかった日は、罰として自宅謹慎だ。これも誰も知らないし、私もべつに言おうとは思わなかった。もうここまできたら意地の張り合いだ。「絶対に言うまい」とすら思っていた。

 タバコは一日二箱は吸っていた。タバコはリラックスするために吸うので、試合の前には必ず二、三本は吸っていた。

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 タバコを吸うと持久力が落ちるというが、タバコは体を酸欠状態にするので、体にはトレーニングしているような負荷がかかるから事実は逆だ。タバコを吸うと階段が苦しくなるというのは、単にトレーニングしていない体を酸欠状態にしているからだ。

 また「タバコは健康に悪い」と言う人がいるが、どう考えてもやり投げの方が体に悪い。一生健康でいたいのなら、やり投げをやめた方がよほど健康的だ。練習中は集中力が途切れるので吸わないが、試合前の一服は不可欠だ。

 陸上関係者やマスコミは、こうした私のことを「無頼」とか「規格外だ」とか言っていたが、やり投げ以外のことを、私の事情を知らない他人にとやかく言われる筋合いはない。逆に「今に見てろ」と、闘争心をかきたてられた。