うたがいの神様

うたがいの神様 (幻冬舎よしもと文庫)

 まったく気づかず楽しく読んでいて、セレンディピティの話でようやく、あれ?この話知ってる?と・・・3年近く前に一度読んでました(;^_^A

セレンディピティ - シェアタイム

 でも今回は、違うところが印象に残ったので、書きとめておきます。

 こちらは「自分好きは自分嫌い」という話です。

 

P41

 珈琲、好きなんです。でも、めっちゃくちゃ珈琲好きですから、飲める珈琲がかなり少ないんです。「これが美味しい珈琲」という基準をはっきり持ってると、まずい珈琲は飲めなくなる。

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 なんでもそうですけど、そんなに好きじゃなかったらラクです。だって珈琲飲みたいなって思ったら、自動販売機で缶コーヒーを買ったらいい。僕は、どっかでめっちゃ好きになってしまったから、もう自動販売機では買えません。

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 例えばプロ野球選手は、我々よりも絶対野球好きでしょうけど、プロ野球選手が一番苦しんでいるものも、たぶん野球。そういう意味では、本当に野球好きなやつが、野球嫌いになることもあるでしょう。

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 そういう意味では、自分もお笑い嫌いな部分はあるかもしれません。お笑いもあんまり好きになりすぎるといけません。だから無意識にバランス取ってるのかもしれません。「自分の笑い」をストイックに突き詰めていくと、そうじゃない笑いが嫌いになりますから。僕も若い時は「千原兄弟の笑いって何?」ということを突き詰めすぎで、すっごい先細りしてる時期があったけど、それやってるうちに笑い声が聞こえなくなった。そのことに気付いた時に「あれ、これちゃうな」と。結局、「笑い声が聞こえるものがおもろい」という判断になるから、笑いの缶コーヒーはごくごく飲むようになるんです。

 自分が良かったらいい、自分が旨かったら相手も旨い、というものではないですから、笑いっていうのは。誰かとのコミュニケーションですから。必ず第三者がいます。ただ、間違いなく言えるのは、「自分好きは自分嫌い」ということです。自分が好きすぎるから、自分にがっかりしたり、理想の自分じゃない今の自分を痛めつけたりするんです。自分を好きになりすぎないって、大事なことかもしれないです。