羽生さんの将棋

羽生善治 闘う頭脳 (文春文庫)

羽生さんへのインタビュー、心に残ったところです。

P278
 だが、当の羽生は「将棋に闘争心は要らない」と言う。「相手を打ち負かそうとは考えない」とさえ言うのだ。
「若い頃は、今が全て、と瞬間的な結果に一喜一憂していましたが、三十代に入ってから、長い棋士人生をマラソンのようにいかに変わらずに走り続けるか、と考えるようになりました。ペースを乱さず一手一手指すように」
 その羽生が追い求める将棋がある。
「勝ち負けのハッキリしない、どちらがいいか悪いかわからない、ギリギリの均衡が最初から最後まで保ち続けられている将棋です」
 それは究極の技なくして出来ないことだが、なるべく早く勝負をつけたい他の棋士にはうんざりするほど厳しいものだ。・・・もしかしたら羽生は、どこか、勝負を超越してしまっているのかも知れない。
 ・・・闘争心は要らないというが、羽生は間違いなく何かと闘っている。
 それは自分自身かも知れないし、あるいは将棋そのものかも知れない。
ー羽生さんは何と闘っているのですか?
 そう尋ねると、羽生は「その問いは……」としばし沈黙してから、ふいに笑い出し、意外な答えを返してきた。
「突き詰めちゃいけないと思っています。突き詰めると、答えはない、となっちゃうので……」
ーない……。
「勝つことに意味があるのか、指すことに意味があるのか、自信をもってあるとは言えない。沢山、沢山、対局してきた中で自然と湧き上がった感情です」
ー……では、負けることには意味はあるんですか?
「ああ、そうですね。でも、負けることにも意味がないとなると、本当に何もないペンペン草みたいになっちゃう(笑)。だから目の前の対局から何か新しい発見を探しているんです。お互いが一生懸命やれば、将棋は必ず意外性のあるドラマが生まれる。どうせ観るなら、面白いドラマを観たいんです」