現実の世界?

パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学

 「脳」が現実世界をどう仮定するか、面白いお話でした。

 

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 大地に一直線に延びる道路。その真ん中に立ったことを想像してください。道の両エッジは遠方になるほど狭くなり、地平線で交わっています。壮大な遠近を感じます。

 私たちが当たり前のように感じるこの見え方は、実は全く当たり前ではありません。なぜなら、目が見えずに幼少期を過ごした人が、開眼手術によって初めて「光」を感じたとき、「遠方が小さく見える」ことに驚くからです。地平線へ延びる道の遠近感は、初めて見る人にとっては単なる「三角形」です。鉄塔や富士山と同じ三角形です。遠近と高低の区別がつかないのです。・・・

 ・・・この世は3次元立体の空間世界です。しかし残念ながら、目の網膜は2次元平面にすぎません。・・・脳は、その不完全な2次元情報から、元の3次元世界を復元しなくてはなりません。見えているものが、「上 vs 下」なのか「遠 vs 近」なのかを、過去の経験から読み解くのです。

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 ・・・環境を動きまわって感じとった体験がないと、網膜の2次元像を正しく解釈することができません。つまり、見えるから「移動」できるのではなく、移動するから「見える」ようになるのです。

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 こうした「世界」の見えの話題は、実に奥深いものがあります。・・・

 自分が「脳」という臓器になったら、どうなるかを想像してみてください。・・・

 まず忘れてはならないことは「脳は頭蓋骨の中にある」という事実です。いわば暗室です。脳は外部から遮断された孤独な存在であることに、ぜひ気づいてください。外界との接点は、主に、身体からの感覚入力と、身体への運動出力です。つまり、脳は間接的にしか外部とつながっていません。

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 ・・・視・聴・嗅・味・触、すべての身体感覚は、脳に入ってくる時点では、デジタル変換後の「ピピピ信号」です。では脳は、怒涛のように押し寄せるピピピ信号を、どのように適切に読み解いているのでしょうか。

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 赤ちゃんの脳は、自身の経験を通じて、ピピピ信号から「世界の有り様」を、必死に学習しています。・・・

 逆に、世界の有り様についてはこう言えます。「まず世界があり、それを脳が受動的に感じとっている」のではなく、ピピピというモールス信号を積極的に解釈することで、「この世界の有り様を脳の内部で再構築している」と。赤ちゃんが習得していることは、そうした「世界」の復元作業です。・・・

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 脳に届く膨大なピピピ信号の中から、関連のありそうな情報を選定して、それに「意味づけ」を与えていく。これが脳の「学習」の実体です。

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 なんとも不思議な気分になります。―はて、私たちが今感じているこの世界は、いったい何なのでしょうか。脳内信号の実体は、ピピピ信号にすぎないのに、なぜ世界は、こんなにも彩り豊かなのでしょうか。

 この問いは、究極的には次の疑問に行き着きます。―脳が描き出した「世界像」は、どれほど「現実の世界」を忠実に再現できているのでしょうか。

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「脳」が知ることができる情報は、生まれてこのかた、ピピピ信号のみです。私たちは、ピピピ以外の信号を、一度も感じたことがないのです。ピピピ世界こそが、私たちの全てです。だから、ピピピ世界以外に「現実の世界」などという仮定を、脳の外部に設定することは無意味です。あるかないかもわからない「世界」なのですから。

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 はて、困りました。私たちが、今まさに生き生きと感じている「この世界」は、いったい何なのでしょうか。脳は確信犯です。幻覚を、幻覚だと感じさせないよう、私たちを巧みに演出してみせる詐欺師です。そして、私たちは、それが幻覚にすぎないことを、心のどこかで薄々知りながらも、あえて疑うことを避け、「この世界」の虚構にどっぷりと浸かり、人生を堪能しています。

 赤ちゃんの脳が学習していく様子を眺めていると、ふと、そんな当たり前の、でも普段はつい忘れがちなことを再認識します。