今まで何人か、アヤウアスカを飲んだことがある方に会ったことがありますが、こんなに詳細には聞かなかったので、へぇ~と興味深く読みました。
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南米のアマゾンにヤヘイ(またの名をアヤウアスカ)と呼ばれる幻覚ドリンクがある。先住民の呪術師が用い、これを飲むと、何十キロも離れた人とテレパシーで交信したり、未来を見たりすることも可能だとされる。
ここには先住民の世界観が深く関わっている。彼らによれば、世界は「この世」と「あの世」からできている。「あの世」は世界の源であり、過去・現在・未来や距離の遠近を超えた完全な時空を保持する場である。ふだんは行き来のできない二つの世界をつなぐのがヤヘイによる幻(ヴィジョン)だという。
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すごいではないか。時空を超える体験ができるなんて。そう思って、当時大学生だった私は単身、コロンビアへ渡った。首都のボゴタからバスを乗り継いでアマゾンの町まで行き、そこから先は、地元の漁師を雇ってボートでアマゾンの支流を丸一日けて下り、セコヤという民族の村へ着いた。
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彼らはすでにキリスト教を受け入れており「ヤヘイはやめた」と言っていたが、私が頼み込むと、かつて呪術師だったグリンゴという中年男性が特別に作ってくれることになった。
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午後も遅くなってヤヘイを作り始めた。蔓は叩いてほぐし、葉っぱは手でちぎってもみほぐす。それを大鍋にぶちこんで、薪の火でぐつぐつ煮る。二時間ほどして日暮れになると鍋を火から下ろした。汁は一リットルほどに煮詰まっていた。一見、ただの泥水のようだ。
儀式が始まったのは夜八時頃である。場所はグリンゴの家の脇にある小さな小屋。
グリンゴは丼ぐらいの大きさの椀に液体を注ぎ、呪文のようなものをブツブツ唱えた。次に木の葉を束ねたものをカサカサとお椀の上で振る。神主のお祓いのようだ。終わると、お椀をこちらに差し出し、「グッと行け」と目で合図した。
口をつけたら強烈に苦い。量もけっこうある。胃にもこたえたが、我慢して二十口くらいでようやく飲み干した。
三十分ほど経ったころだろうか、「何かがおかしい……」と感じた。
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だんだん自分がどこで何をしているのかわからなくなってきた。バンコクにいると思ったり、いやインドだと思ったり、完全な譫妄状態に陥った。高熱を出しているときにも似ている。
床に体を横たえると、少し楽になった。同時に、目の前に赤や青の鮮やかな光がピュンピュン飛び始めた。無数の光輝く小人が鉄棒で大回転をやり、ものすごい勢いで曲芸を行う。
それからもいろいろな映像を見たが、それらは決して「幻覚」ではない。目を開けると現実に戻るからだ。ヤヘイは幻覚剤じゃなく「夢見薬」なのだ。でも眠っているわけでもないのでやはり「幻(ヴィジョン)」と呼ぶのが正しいのか。しかし、音も触感もあまりにリアルで、とても幻とは思えない。
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無数のイメージが次々と現れるが、記憶が寸断されるようで一瞬前のことが思い出せない。だからここに書いているのも、わずかに覚えている断片である。
「ハンモックがいい」と、不意に声がした。私は幻から抜け出し、グリンゴの手助けでハンモックに寝そべった。ゆらゆら揺れるハンモックに乗ったまま、ふわっと浮かび上がり、どこかへ飛んでいく。
ハンモックで長い長い旅をした。意識がぶっ飛んでいるので詳しいことは思い出せないのだが、深海をさまよったり、世界の果てみたいな土地をぐるぐる回ったことは覚えている。『アラビアンナイト』や『源氏物語』のような、物語の世界も通った気がする。
ほんとうに長い旅だった。人は眠って目が覚めたとき、「あ、だいたい六時間ぐらい寝たかな」などと感覚でわかる。私はこのとき「千年」と感じた。うたた寝している間に五十年の人生を過ごした「邯鄲の夢」どころでない。
ふと目覚めると、小さな小屋のハンモックに寝ていた。時計をみたらヤヘイを飲んでからたった一時間しか経っていない。「あの千年が一時間なんて」と思うと、あまりの悲しさで、さめざめと泣いてしまった。きっとグリンゴが見ているだろう、恥ずかしいという冷静な判断力はあったのに、涙が止まらない。
千年の旅から帰還したのち、急激に気持ち悪くなった。ふらつく足で外に出て、茶色い液体を吐いた。ヤヘイを飲むと、最後は必ず吐くらしい。吐くと気分がすっきりして幻も見えなくなるが、とても心地よくなる。手足の先から内臓までが「一体感」に包まれ、気持ちよく物思いにふける。いつの間にか、うとうとし始め、気づくと辺りは明るく、鳥の鳴き声が聞こえた。朝だった。
これが私のヤヘイ体験である。時空を超えたかどうかは、正直よくわからない。・・・
でも、アマゾンの人たちがヤヘイを飲むのはわかる気がする。あの世に行って、帰ってくるという「リセットする」感覚がたしかにある。心身が辛いとき、現実を相対化させることは重要なんじゃないかと今でも思っている。