アフリカつながりで・・・京都精華大学の学長になったサコさんの、生い立ちや考えが語られた本、興味深かったです。
こちらは、生まれ育ったマリの家の様子です。
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私の実家は、国家公務員の父と専業主婦の母、二歳違いの妹と十三歳違いの弟と私の五人家族。だが、なぜか近い親戚、遠い親戚や知らない人がうじゃうじゃと家の中にいた。
誰がいるのかというと、祖母、父の姉、そしてその姉のところに居候していた人たちが十人前後。母方の親戚が十人前後。その他諸々。つまり、「赤の他人」が半数近くを占めるわけだが、まあ、マリでは珍しくない。
活発でやんちゃな性格の私は、よく大人たちに叱られた。私のことを一生懸命叱る目の前の人を見つめながら、いつも思っていた。
「この人、一体誰やろな」
親でも先生でもない、全然知らない人に叱られるのが日常なのだ。
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たとえばで言うと、よくあるパターンはこれだ。
親がある地方の出身で、同じ地方の隣人が都市部に何かの用事があるとき、出てくる前にまず情報を収集する。すると、「あの人の息子さん、バマコで公務員をして家を持ってるらしいよ」という評判を聞く。
バマコはマリの首都であり、日本の東京と同じ、文化と商業が一極集中している。・・・
新しくバマコに出てきた人は、定住している人の家にたどり着き、自己紹介をしてこう言う。
「自分はバマコに用事があって来た。〇〇出身だ」と。
私の家の場合、その全く知らない人を「どうぞどうぞ」と招き入れるのだ。
家の中には、共同で使う部屋がいくつかある。新しく来た人に個室を与えなくても、ゴザもあるから適当に寝てもらって構わない。ごはんはみんなの分もあるから、ついでに食べてもらう。みんなが食べる中にまざればいい。特別扱いはしない。
多くの場合、そういう人は次の日になっても用事に行かない。
「用事は?」とたずねると、「いや急いでない」と言う。「急いでない」のが一日二日かと思いきや、何日間も母の話し相手になったり、母がやることの手伝いをしたりしている。
そして、いつの間にか住んでいるケースもある。
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子どもたちは、幼児のころから家の手伝いをする。年齢は関係なく、そういうところから人生を学んでいく。
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わが子がいつの間にか隣の家のお母さんの面倒を見ていることもある。たとえば、隣のお母さんが買い物をしたいけれど忙しくて行けないときには、うちの家に来て「誰か空いてる子はいないか?」と探すのだ。それを断る、ということはまずない。
マリでは、子どもたちは夫婦のものではなく、「地域の子」として育てられ、その家の子でありながら、みんなの子である。・・・
・・・日本からマリに帰っていると、今でもよく知らない人たちが家に遊びに来る。
その人たちが来ると、母は「大事にしなさい」「小さいときに抱いてくれた」と言い始める。その人たちは「昔住んでた!この子懐かしい!」とか私を見て喜ぶ(こっちは知らんし、何の懐かしさもないけどね)。
おまけに、その人が帰るときには、母は「何かお土産わたしてあげて」「車代あげて」などと言う。本当に、「なんでやねん、おまえ誰やねん」の世界なのである。