たまに桜井章一さんの本を読むと、そうだった、そうだったと大事なことを思い出せます。
こちらは「素」のままで生きる、というテーマで書かれていたことです。
P46
二〇一一年の正月に、道場生が書き初めを書いた。
その中で、一等賞を取った作品を紹介したい。
道場には
「お金」はないが「心」がある
「法律」はないが「掟」がある
「教育」はないが「学び」がある
「収入」はないが「喜び」がある
「効率」はないが「感情」がある
「過去」も「未来」もないが「今」がある
「神」はいないが「鬼」がいる
なにもないけど全部ある
この詩を書いた子は、道場の中でも学がない子である。その証拠に、「効率」という漢字を間違って書いた。それでも、こんなに素晴らしい詩が書けるのだから、それでいい。いくら学があっても、こんな素晴らしい詩を書けるやつはそうそういないだろう。
・・・
深く考えたり、頭を使ったりするよりも、心に浮かんだことをサラッと書いたほうがいい場合が多い。この詩を書いた子も瞬時に思いついて書いたと言っていた。
つまり、素になって、素直になったほうがいいということだ。
・・・
さらに言えば、ウソをついてもいい。ウソをつくのも素だからである。ウソは好きじゃないと言うのではなく、ごまかすのも人間の素の部分。弱い部分もダメな部分も、全部ひっくるめて素なのである。
それを少しでもよく見せようとするから、逆に素の部分がなくなる。知識が高い人ほど、その傾向が強いのではないだろうか。
素のままでいるというのは、力が抜けているということだ。たとえば、必要以上に頑張っている自分を見せようとすると、肩に力が入ってしまう。それでは、決して物事はうまくいかない。
つねに力が抜けて、リラックスしていると、いざというときの判断に間違いがない。いま起きている目の前のことしか見えていないようでは、解決方法を感知することができないだろう。
・・・
・・・物事を俯瞰して見ることが重要なのである。それに、素のままでいられることほど、楽なことはない。