移住のお話

生きる場所を、もう一度選ぶ 移住した23人の選択(しごとのわ)

「生きる場所を、もう一度選ぶ」という本を読みました。
移住した23人の方のお話、どれも魅力的でした♪
ちょっと一部を抜くのが難しい本なので、少しだけメモしておきます。

P85
 ・・・家族で地域と関わりながら生きてみたくなり、ふたりで移住候補地をあちこち見てまわりました。夫もUターンありきではなかったのですけど、彼の故郷の、今住んでいる家が一番気に入ったんです。ここの周辺環境が好きでした。小さな川が流れていて、それから、光の感じがよかった。
 京都で不便な田舎暮らしはお試し済み。そこは心配しませんでしたが、地域に入っていくことに伴う人間関係のほうが不安でした。事前に読んだ本の中には、恐ろしいことが書いてあるものもあって。
 実際に来てみたら、そんなに恐ろしくなかったです。こちらもだんだん要領を得てきて、つき合い方が身についてきました。一瞬にしてウワサが駆け巡るとか、それも、ときに事実ではないことがひとり歩きするとか、本当にあるんですよね。でもまぁ、最後は気にしなければいいんです。いい面もたくさんありますしね。悪い面と思っていたことに、実はとてもいい面が隠れていることもあります。
 一番は、効率でははかれない価値についてです。都会は合理的にできていますが、田舎は違います。たとえば、集落の会合。私からすると、五分あれば用が足りるようなことに一時間かける。無駄なやり取りが多い気がして、「忙しいのに早く終わってくれないかな」と思うわけです。でも、そうしたコミュニケーションの中で、地域のおじいちゃん、おばあちゃんの体調がどうなのか、困りごとはないか、いつの間にか把握するんですね。
 それから、食べ物への手間のかけ方がすごい。こんにゃくひとつに栽培から始めちゃうほどで、気が遠くなる手のかけ方をします。「どうしてそこまで」と聞くと、「そりゃあ、おいしいからよ」と。時間的効率は勘定されず、いかにおいしくするかしか見ていない。だからこそ、なんでも自分の手でできるようになるんです。
 都会の感覚がしみついてると、すぐ、「なんのために?」って思っちゃうんですよね。自分の庭でもない場所をきれいに草刈りするのもそう。都会の脈絡では絶対にやらないことですよね。なにも得にならないというか、本人たちにも理由づけができないようなことを、疑いなくやるんですよ。
 そんな姿に触れることができて、とてもよかったと思うんです。多くの人がこうした感覚を知ることで、私たちはもっと広い世界観で生きられるようになる気がします。