出会いはこんな風に

食べることも愛することも、耕すことから始まる ---脱ニューヨーカーのとんでもなく汚くて、ありえないほど美味しい生活

 著者が初めて、夫となるマークに会った時のお話です。

 

P10

 初めてマークの姿を目にしたのは、事務所兼自宅として彼が使用していた古びたトレーラーのなかだった。マンハッタンから車で六時間かけて訪れたわたしは、なるべく地元でとれた有機農産物をと考える消費者が急増するなかで、そうした需要にこたえようとする若手生産者を取材し、記事にするつもりでいた。・・・

 自己紹介をし、握手すると、急ぎの仕事があるからといって、彼はあっという間にいなくなってしまった。・・・

 取材一日目のその晩、わたしがやったのはインタビューではなく、彼が豚をつぶすのを手伝うことだった、十三年ものあいだ菜食主義を心がけ、おまけにその日はアニエスb.の新しい白いブラウスを着ていたというのに、農場は人手不足で、その場にいながら手伝わないというのは、湖に飛びこんで泳がないのと同じくらいに不自然なことに思われたからだ。・・・

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 ・・・頭のなかにあった自分の考えが、大きくゆっくりと、地殻変動を起こしていくのがわかった。たぶんたった六エーカー〔約二万四千平米〕かそこいら、大きめの運動場くらいの土地に、二百家族分の野菜があふれている。想像していたよりはるかに、それは単純なことに思えた。土と、水と、太陽と、汗を足せば、食べ物ができる。工場不要、機械もほとんど不要、殺虫剤も化成肥料もいらない。こんな豊かな世界があることに、なぜいまのいままで気づかなかったのだろう。理屈はさておき、まず感じたのは、安心感だった。・・・

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 ワーク(労働)という言葉をマークは好まなかった。あれは軽蔑の表現。ファーミング(農耕)のほうがいい。今日は十四時間、農耕にたずさわった、というように。テレビもラジオもないから、おそらく九月十一日がふつうの火曜日でなかったことを知ったのは、アメリカ中で自分が最後だろう、そうマークはいった。その後もニュースは聞いていない。気が滅入るだけだし、どうせ自分にはなにもできないのだから、と。地域を主体に考え、地域主体で行動すべき―その地域とは、彼が耕し家畜を育てている農場をひとまわり大きくした程度のものにすぎない。自分という存在が周囲にどういう影響を与えているか、できるかぎり理解することが大切だという。・・・自分が死んだら土に還るようにしたい。車は一度も持ったことがない。どこへ行くにもたいてい自転車かヒッチハイク。最近「~すべき」という言葉を使うのをやめたら、前より幸せになった。・・・お金ではなく善意や好意だけでやりとりをする農場が実現できたらどんなにいいかと思う。まず人に与えることから始めなくてはならない、というのが彼の持論だった。それもできるだけ大きなもの、千ドルくらいの価値のあるものがいい。もらった人は最初、戸惑うだろう。なにかで補おうと―大きなお返しをしようとするはずだ。次にまたなにかほかのものをあげると、またべつのお返しがあって、そのうちだれも細かな貸し借りは気にしなくなる。余ったところから足りないところへと、単にものが流れているだけとなる。顔の見えるやりとりですべてが成り立ち、充足感があって、文句をいう者はいない。この人、完全に狂ってる、とわたしは思った。でも、もし、彼のほうが正しかったら?