これまでは余興だったかも

「プロフェッショナル 仕事の流儀」スペシャル 挑み続ける力 (NHK出版新書)

こちらは三浦和良さん。
これまでの日々は余興だったかもという言葉、新庄剛志さんも「これまでは助走だったかも」と言っていたのを思い出しました。

P188
 思いっきりサッカーをして、三〇歳を過ぎたら頂点でスパッとやめる。
 若い頃に抱いていたそんな考えが変わったのは、三一歳のときだ。日本サッカー界、そして悲願だったワールドカップ出場を目前に起こった「ドーハの悲劇」から五年、一九九八年に行われたフランス・ワールドカップの代表チーム選考からカズは外される。文字どおり、日本中が大騒ぎとなり、彼には世間の同情が一挙に集まった。
 そんな喧噪のなかにあった当時の彼は、怪我の影響もあり、思うように結果が出せないでいた。所属チームから戦力外通告を受け、限界説も囁かれるなか、カズは新天地での挑戦を決意する。
「海外に出たかったんです。誰も自分を知らないところで、一からではなくゼロからのスタートをしたかった」
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「はじめての練習の日、ウォーミングアップでひらすら激しく動いていた選手がいて、最初は売出し中の若手かと思ったら、クロアチアを代表する名DFのゴラン・ユーリッチだったんです。そのときの彼は三五歳。僕より年上の、キャリアを積んだベテランなのに、誰よりも懸命に誇り高く練習に臨んでいた姿に驚くと同時に嬉しくなりましたね」
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「彼を見ていて、身体の衰えはあっても、頭の中が常にフレッシュならば肉体も支えられるのではないか、と思うようになりました。・・・」
 そして、ユーリッチのこんな言葉が胸に突き刺さった。
「サッカー選手は年齢に関係なく、常に成長するものだ」
 カズは、一五歳でプロサッカー選手を目指して単身ブラジルに渡ったとき、いかに自分が必死だったかを思い出した。「頂点でスパッとやめる」という考えなど、もうどこかへ行ってしまっていた。
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「あそこからが、自分のサッカー人生の始まりだったのかもしれない」
 番組の取材中、グラウンドから帰宅途中の車のなかでカズは語り出した。「あそこ」とは、フランス・ワールドカップ代表チームからの落選のことだ。
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「こう言ってはなんですけど、そこまでは、もしかしたら余興だったのかもしれません」
 日本サッカー界のスターとして送った数々の栄光に満ちた日々を「余興」と表現し、彼は言葉を続ける。
「これは『サッカー選手として、お前はここからどうやって生きていくんだ』という問いかけのような気がしました。あそこからが本当の自分の人生だと思いますね」
 彼はあれほどの挫折をも新しい人生へのスタートとしてとらえ、サッカー選手としての自分の可能性を信じて走り続けている。
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 ・・・思いの外、回復に時間がかかった二〇一五年シーズンだが、その経験は思わぬ収穫をもたらした。
「怪我をしている間は当然筋力も落ちてしまいますし、今までできた筋トレもまったくできなくなってしまう。でも、基礎の基礎からもう一度鍛えることで、『この痛みをずっと引きずりながらやらなければいけないのか』と思っていたところが、良くなった。この年齢になっても、そういうことが起こるということに驚いたし、人間というのは、いくつになっても鍛えれば成長できることを実感しました」