二種類の人間?

この世には二種類の人間がいる

 中野翠さんのエッセイ、久しぶりに読みました。

 ここは「それは型からはずれたい人と型にはまりたい人だ」というテーマで書かれたものの一部です。

 

P205

 人間を見るのに、お金のあるなし・性別・年齢・学歴・職業・出身地・未婚か既婚か・子どもがいるかいないか……といったことは、たいした手がかりにはならない。企業のマーケティングとか国勢調査などではデータとして重視される事柄なのだろうが、私にとってはどうでもいい。そういう社会的(いや、世間的と言うべきか)側面での人間分類には興味が薄い。

 私が人と接していて、面白いなあと思うのは、その人のパーソナリティだ。その人の性格とか生理とか性癖といった部分なのだ。金持か貧乏か、男か女か、一人者か家族持ちか……といった世間的側面を、人びとが身にまとっている服としたら、私はその人の裸の部分のほうに面白味を感じるのだ。似た服はたくさんあっても、その下の裸は一人一人違うだろう。裸のほうが「個性的」に違いないのだ。

「この世には二種類の人間がいる」というタイトルをつけたけれど、ほんとうはそんなふうには思っていない。看板に偽りあり。たった二種類の分類でおさまるはずがない。人間はもっともっと多彩だし曖昧だし混沌としている。そもそも私は人を評するのに、「―タイプ」「―系」「―派」「―族」といった言葉を濫用する人は好きになれない。・・・

 そう感じる人は多いと思うが、奇妙なことに、世の中にはみずから型にはまりたがる人もとっても多いのだ。「ヒルズ族」とか「エビちゃん派」という言葉が出回ると、いかにもそれらしい風体で、それらしい行動パターンを示す人たちがワッと出てくる。・・・

 世の中にはさまざまな性格判断法があるけれど、血液型とか星座とかが手がかりでは同類が多すぎて、何だか茫漠とした印象だ。「この世には二種類の人間がいる」と勝手に決めて、その二種類をたくさん作っていくと、どこかに私自身の姿が、そして読者のあなたの姿が浮かびあがってくるんじゃないかなぁ、と思った。