生物としての地球

宇宙に行くことは地球を知ること 「宇宙新時代」を生きる (光文社新書)

 

 読んでいるだけで、地球の圧倒的な生命力が伝わってくるようでした。

 

P104

野口 地球との出会いで忘れられないのは、2005年、初飛行の第1回船外活動で宇宙船の外に出たときの体験です。エアロックから出て身体の向きを変えると、いきなり丸い地球が目に飛び込んできました。

 「地球は青かった」とか「地球は美しい」とよく聞きますが、実際に対峙した地球は、美しさ以前に、とにかくものすごい存在感で迫ってきました。

 それは一個の生物として対面した感覚です。

 とにかく光の量が猛烈で、圧倒されます。地上の船外活動訓練では、巨大なプールでの訓練の他に、VR(ヴァーチャル・リアリティ)訓練も行います。VR訓練で繰り返し見たコンピュータグラフィクスの地球とは異なる、「生きている地球」でした。

 地球は丸くて、ゆったり、堂々と自転しています。

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 一人一人の人間が、植物が、さまざまな動物たちが地球上で命を謳歌していることが、リアルな存在として感じられました。「地球の眩しさ」は「命の輝き」そのものです。命の躍動感にあふれた天体だということが、感慨とか印象とかふんわりしたものではなく、天啓のような形で自分の中に起こりました。「すごい存在だ」と。

 それは、写真や映像で見る地球とどう異なるのか。

 たとえば写真を見て「花が綺麗」というのと、「今ここに花がある」という存在感は違いますよね。目の前の花から漂うかぐわしい香り、たっぷりと水分を含んだ質感、そよ風に揺れる微かな動き、触れたときの柔らかさ。それらすべてが組み合わさって、「僕ではない存在として、花がある」という確信が得られます。僕が宇宙で地球に感じたのは、それと同じくらいのリアリティであり存在感です。

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 ・・・船外活動で、僕は確かに「命を見た」という実感を得た。この体験を通して、僕の命の見方は明確に変わったと思います。

 たとえば、「生と死が同時に存在し、明確にその違いがわかる例を出しなさい」と言われたら、ほとんどの人はご臨終の場面を例に出すと思います。一方、僕にとってそれは「宇宙で地球を見る」という体験でした。

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 100%の命の世界と100%の死の世界を隔てているのは、ごく薄いヘルメットや手袋です。宇宙服の内と外で生と死がせめぎ合う、その緊張感はすさまじいものです。

 同じ対比を、目の前の地球と宇宙空間とに見ることができます。100%の命に満ちた地球と100%の死の世界である宇宙空間を隔てているのは、ごく薄い大気のヴェールです。

 一切の生を許さない宇宙空間の中で、地球だけが命を内包し眩しい光を放ち悠々と宇宙をわたっている。その両者を隔てるのは薄くはかない大気の層。その生と死のコントラストに強烈な印象を受けるのです。

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 実は、宇宙に行く前は、地球はあくまで天体の一種であるという認識でした。・・・

 ところが、実際に宇宙で見た地球はイメージした以上にダイナミックで、命の鼓動や躍動を感じました。天体を客観的に、クールに観察しようとしていたのに、明確に生きているものの対象として、地球に出会ってしまったわけです。