だいぶ前に読んで、下書きしたままになっていたものがありました。
ヨーロッパの食堂を巡る旅。おもてなしだったり、お酒だったり、色々なテーマがあって楽しかったです。
このエピソード、しみじみいいなと思いました。
P17
『オ・シャルパンティエ』はマルシェ・サンジェルマンというショッピングセンターの隣にある。サンジェルマン・デ・プレの喧騒のまっただ中といっていい。席数は120席で1階と地階に分かれている。創業は1856年。・・・
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「大統領が来るような格式のある店に、観光客がひとりで立ち寄っても大丈夫ですか?」
バルディシュ氏は何をバカなことを聞くんだというように、顔の前で手を振って、答えた。
「テーブルはユニバーサルです。入ってきた人を断るなんてことはありえない。うちには世界30カ国からお客さんがやって来る。大統領が来ることよりも、そのことのほうが私にとっては誇りなのです。だって、多くの人が集まるにはおいしい料理とプロフェッショナルなサービスが必要なのですから。そして、30カ国のなかにはフランス語を理解しない方もいます。メニューを読めない人もいる。でも、それでもまったく問題はありません・・・うちのギャルソンはお客が食べたいと思うものを理解して当てるのが仕事です。言葉より、身体と目で訴えてください」
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「海外からやって来たお客さんにはたくさんの思い出があります。たとえば、もう30年以上も前のことになりますが、若いアメリカ人のカップルが隅のテーブルで食事をしていました。17フランのディナーだった。うちではいちばん安い定食でした。そのころ、うちではテーブルクロスに紙を使っていましてね、勘定も紙の上に鉛筆で書いていたんです。
ふたりが帰った後、ギャルソンが片づけにいったら、クロスの裏に短い手紙が書いてありました。
『新婚旅行でパリに来ました。ここの食事は私たちが食べたなかでいちばんおいしかった』
いや、嬉しかったな。私はその部分を切り取ってアルバムに挟んでいた」
バルディシュ氏はしんみりとした表情になり、窓の外に目をやった。
「数年前のことです。アメリカ人の四人家族がやって来て、シャトーブリアンを食べ、シャンパンを何本も空けた。支払いのとき、私を呼んで、新婚旅行でやって来たことがあるという……。新婚旅行で食事に来たときは確かあそこに座った、と隅のテーブルを指さしたのです。そのとき、私はふと思いました。もしかしたら、と。妻にアルバムを持ってこさせました。そして、メモを見せた。ふたりは涙ぐんでいました。
いいですか、言葉がしゃべれないなんて問題じゃないんですよ。私たちはどこから来た人でもおろそかにする気はありません……」