光と水

社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう! (だいわ文庫)

 世界を旅して感じたこと、こちらの本の視点も興味深かったです。

 この部分を読んで、太陽を拝んだり、雨乞いをしたりした(例えば縄文時代とか)時代がイメージされ、光と水が命につながってる感覚がわいてきました。

 

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 海外を旅すると、日本の安全さ、豊かさを痛感しますが、その中でも豊かさと貧しさを強烈に分けるのは「光」と「水」の存在でしょう。

 日本では夜でも煌々と明かりがついています。コンビニの蛍光灯にネオン、信号、駅など公共交通の明かり、幹線沿いなら車のライトだけでも相当に明るいし、住宅地にも街灯が設置されています。

 たとえ街灯やネオンがなくても、電力が一般家庭に行き渡っている国では、夜、家の窓から漏れる明かりだけでも街は暗闇にはなりません。・・・

 一方、一般家庭に電気が行き渡っていない場合、宿泊しているホテルを一歩でるとそこは全くの闇夜です、私がその暗さに驚いたのは、カンボジアの首都プノンペン、それにケニアのナイロビです。・・・それらの地域はたとえ車で移動していても怖くなるほどの暗さです。

 日本で電気の重要性について語る時、多くの人はクーラーや冷蔵庫、電子レンジのある「便利な生活」を思い浮かべ、反対に「電気のない生活」というと「不便な生活」を思い浮かべるでしょう。けれど実際には、「電気のない生活」とは「光のない世界」を意味するのであって、「便利か不便か」という前に、恐怖そのものです。治安のよい日本でさえ、夜に電気が消えて完全な闇が現れたら、怖くて一歩も動けない人がたくさんでてくるでしょう。

 プノンペンで「完全な闇夜」を経験した時、私は自分が「闇がどんなものか知らなかった」と気がつきました。何も見えない世界で、一歩先に何があるのかわからない状態、誰かが、何かが、突然現れるかもしれないという不安が、あんなに恐ろしいものだとは知らなかったのです。

 日が沈むと完全な闇夜となる国に行って、私は「光が人に与えているもの」を理解しました。火や電気を使うようになって、私たちは「闇の恐怖」から解き放たれたのです。

 もうひとつ、豊かさと貧しさを明確に分けるのが「水」の存在です。・・・それはお湯である必要さえありません。蛇口をひねればほぼ無尽蔵に、衛生的な(飲むことさえできる!)水が出てくる国。これこそ私にとっての「豊かな国」の象徴です。

 まず飲料水がないと私たちは生きていけません。だから水道の水が飲めない国では、常に水筒かペットボトルを持ち歩く必要があります。

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 飲料以外の用途でも水は人の命を左右します。水が不自由なエリアでは、レストランの料理人でさえ手を洗うのに苦労するし、お皿やカトラリー(フォークやナイフ)も流水で洗うことができません。・・・きれいな水が手に入らない街で手術が必要な事故に遭えば、治療の安全も保たれないでしょう。

 さらに水不足は、発展途上国だけの問題ではありません。イギリスにホームステイをしたことのある人には、食器を洗う際、流水で洗い流さない皿洗いの方法に抵抗感を抱いた人も少なくないでしょう(水の貴重な場所では、先進国でも食器は「溜めすすぎ」です)。

 元が砂漠地帯のカリフォルニアでも、水量制限のために街の居住人口に上限を設けたり、庭の水やりに回数規制をする地区もあります。・・・

 海外から日本に帰ってきて水道の蛇口をひねり、勢いよく流れだす透明な水で手を洗うと、私はいつも「ここは本当に豊かな国だ」とありがたく思います。もちろんその後はバスタブにたっぷりのお湯をためて、ゆっくりとお風呂を楽しみます。水に不自由しない国に住んでいることに、心から感謝しながら。