オセロのような世界

メモリークエスト (幻冬舎文庫)

 いざ再会してみたら・・・こんな展開がある国に生きていたら、考え方とか、全然違ってしまうだろうなと思いました。

 

P230

 二十メートル離れた歩道から、一人の男がこちらに向かってつかつかと歩いてきた。私の顔を見てほほえんでいる。

―あ、あいつだ

 一目でわかった。人のよさ、育ちのよさが隠せないあの目。絶望的な状況にもかかわらず、「今度は自分が困った人を助ける」と言ったときの目はそのままだった。

「タカノ!」

「リチャード!」

 私たちは駆け寄るとガバッと抱き合った。抱き合ったまま、バンバン相手の背中を叩き合った。

 ・・・

「それにしても」と私は思った。「よかった……」

 リチャードは申し分のない身なりをしていた。白いスポーツシャツとブルージーンズは小ぎれいで、首には貝殻のネックレス。胸板は厚く腕は太い。しかもそれは畑や工事現場でなく、フィットネスジムで得られたものとすぐわかる筋肉だった。顔はふっくらしてアゴヒゲまでたくわえている。おしゃれで貫録さえ感じる。

 まっとうで健康的な生活を送っているのは間違いない。

 ・・・赤いトヨタハイエースが止まっていた。後ろのドアを開けて荷物を入れている。

「これ、君のか?」

「会社の車だよ」リチャードはちょっとはにかんだ。「今、観光の仕事をしているんだ」

 見ると、車体の横に「オカピ・ツアー」と書かれていた。

 ・・・

「今日は仕事はないの?車は個人に貸してくれるの?」と訊いたらリチャードはニヤッと笑った。

「仕事はないけど車は使える。だって僕の自分の会社だからね」

「えー、会社を設立したのか!」

「そうだよ。まああとでゆっくり話すよ」

 ・・・

「まず、あれからどうやってナイロビからここまで逃げたのか教えてよ」・・・

「そうだなあ、あれは信じられないほど大変だったよ……」・・・

 ・・・

 ケニヤからその南隣であるタンザニアまでは、国境もミニバスの運転手にいくらか渡すだけで簡単に越えられた。・・・

 しかし彼は移動を続け、西隣のマラウィに向かった。この国境で初めて彼はトラブルに遭う。国境を流れる川に渡し舟(丸木舟)があり、その船頭にわけを話してただで乗せてもらうが、・・・・「こいつは密入国者だ」とマラウィの警察に突き出された。・・・

 警察署の取調室に連れていかれると、テーブルに新聞が載っていた。タイミングがいいというのかなんというのか、一面トップが「コンゴ・カビラ軍の難民キャンプ虐殺事件で新事実」とかいう記事だった。・・・

「これ、僕が見たんだよ!」と叫ぶと、「おー、そうなのか⁉」「すごいな!」と警察官たちが興奮し、話をせがまれた。すっかり同情され、留置所の代わりに難民キャンプに送られた。・・・

 彼はキャンプでもらったUNHCR配布の毛布や衣類、靴などを持って近くの村へ行き、きれいさっぱり売り払って少しまとまった金を手に入れた。

 次に目指したのはモザンビーク。・・・

 国境はあっさり越えられたが、参ったのは言葉が全然通じないこと。・・・モザンビークは旧ポルトガル領で、今でも共通語がポルトガル語のみ。・・・

 「もっと別の国へ行かなきゃ」と思い地図を見ると、南アがもうすぐそばだ。南アに行こうと彼は決心した。「南アには憧れがあった。アパルトヘイトを克服した素晴らしい国だと思ってたんだ」

 南アの前にスワジランドという小さな国がある。そこへの国境を越えようとしたが、また捕まってしまった。ここでは二週間投獄されるが、「僕は犯罪者じゃない。僕の話を聞いてくれ!」とハンガーストライキをして訴えた。最後には上の人間が出てきたので、詳しく話をすると、やっと理解され、また難民キャンプへ送られた。

 ここでも同じことの繰り返しだ。国連からもらったものを売り払って資金を作り、南アを目指した。

 南アの国境は厳しかった。・・・国境を越えるトラックに乗って行ったが、あっさり捕まってしまった。

 今度ばかりはいくら説明してもにっちもさっちもいかなかったが、しばらく拘置されていると思わぬ幸運が舞い込んだ。リチャードを乗せたトラックのドライバーが実は不法入国者の運び屋だったことがわかり、警察から「それを法廷で証言すれば釈放してやる」と取引を持ちかけられた。・・・

 リチャードはまだ正式に「入国」もしていない国の法定に出て証言し、釈放された。・・・

 ・・・なんとかヨハネスブルクまで出て難民を取り扱うオフィスにたどり着いて説明、ようやく「難民」という身分をもらった。・・・

「いやあ、大冒険だなあ」私が感嘆すると、リチャードは首を振った。

「ほんとうに自分でも信じられないような冒険だよ。でも実際はそのあとだってすごく大変だった」

 ・・・

 ヨハネスブルクはあまりに危険なので、ケープタウンに移動したが、その日暮らしは相変わらずだ。

 ・・・

「タカノ、君はラッキーだったよ。僕は携帯を強盗に奪われたことが五回もあるんだ」彼は笑った。携帯が命綱なので、それを盗られると、知人友人からの電話もかかってこないし、友人の電話番号は携帯に登録されているだけだから、こっちからかけることもできない。一ヶ月、二ヶ月と誰にもコンタクトがとれなくなる。もしそういうときにぶち当たっていたら、私は彼にコンタクトのとりようもなかった。

 ・・・

 結局ヨハネスブルクに舞い戻り、新聞の求人広告を見ていたら、「ドライバー募集」という旅行会社の求人を見つけ、面接を受けると通ってしまった。英語とフランス語と車の運転ができたのがよかったらしい。コンゴ難民はこの国に多いが、三つ全部がちゃんとできる人間は珍しいようだ。

 ドライバーになってまもなく、彼の運命が急転換した。

 コンゴではカビラ大統領が暗殺され、息子が新大統領になった。相変わらず独裁政権なのだが、独裁政権なりに親父と息子では取り巻きがちがう。リチャードの姉の夫(つまり義兄)がこのカビラ新大統領と学校の同級生で、いきなり国会のアドバイザーに抜擢されてしまった。ビジネスも各種の不労所得も自由自在、リチャードの一家は突然、わが世の春を迎えた。・・・リチャード本人もこの八人乗りの車をポンと買ってもらって、オカピ・ツーリズムを設立。生活に余裕ができたせいもあり、リザというカナダ人女性と付き合い出し、彼女がホテルなどに営業をかけたり、ホームページを立ち上げてくれたりした。

 ・・・まさか自分を殺そうとした男の息子のおかげだとは……。

 リチャードはそれについては別に葛藤がないみたいだ。この辺も想像を超えている。

 アフリカはほんとうにコミュニティ次第なのだ。・・・コミュニティが成功すればメンバーはみんなその恩恵にあずかれ、コミュニティが没落すればメンバー全員が没落する。・・・

 全くオセロのような世界なのである。

「人生はほんとうにわからないねえ」とリチャードはいまや余裕の口ぶりで言うのだった。