こんなに惹きつけられるものがあるって、いいなぁと思いました。
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僕はサン・ミッシェルのホテルから歩いて彼のアパートへ向かった。・・・
彼は現在、パリで洋服の世界にいる。といってもどこかで働いているわけではない。そして、通っていた学校も辞めてしまっている。現在は、収入を得られる仕事を探している最中なのだ。そのどこにも属していない今を彼に聞きたかった。
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彼は専門学校を卒業してからいったん長岡に帰った。それはパリに行くためでもあった。それはこの街のオートクチュールの学校へ入るために。彼の父にそこに入るためには試験があり、「自分で作ったものを見せなきゃならないだろう、背広一着作ったら行かせてやる」と言われて、知り合いのアパレル工場に行って作ることになったのだ。
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そしてようやくパリにやって来た。それは彼が二二歳の秋だった。
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彼はここに二年生から編入してオートクチュールの勉強を始めた。だが、そこを一年で辞めてしまうことになる。・・・
そしてプレタポルテの学校に入り直したのだ。以前が縫うことが専門だったのに対し、新しいところではアイデア、デザインなど創造を中心とした学校へ。
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でも彼はそこも途中で辞めてしまった。・・・
「オペラが好きになっちゃったんですよ」
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「見ていて、本当に震えた。圧倒されるというか、負けたあ、やられたあって思った」
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それをきっかけに彼はどんどんオペラの世界に引き込まれていくこととなる。それは日本にいた時には思ってもいなかった流れでもある。それが、その場に身を置くという面白さでもあり、時に怖さでもあるのだと思う。
「僕、オペラの衣装がやりたくなったんですよ。で、幸運にもオーストラリアの小さな町にオペラ座があってそこで仕事がもらえる話がきて、それは二ヵ月の仕事だったんだけど、新しく入った学校を二ヵ月休んで行った。その時、行けるだけ行きたいと思って、後期の月謝払うの嫌でそっちに行ったんです」
彼はこれをきっかけに学校を辞めることとなった。
その二カ月の間に彼はオペラの衣装を作ったのだという。・・・
そして、彼は一応来年の一月から働くところを見つけていた。それはあちこちの劇場からの注文を受けて衣装をつくるアトリエだという。でも、それは長い階段のほんのワンステップでしかない。
何故なら、
「まずはスタージュから」
と彼は言ったからだ。スタージュとはこの国の言葉で見習いという意味で、・・・無給であるということだ。
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・・・でも彼はそれを冷静に受け止めていた。その現実の厳しさの中でも、あきらめたりしないのかと、僕は聞いた。
「僕は思っているんだけど、自分の心が自分を信じられたら、人生は必ず思い通りにいくって。それは、絶対で、本当だと思う。心が自分を信じられたら。なりたいなあと思うことを、本当だったらなれる自分に許してあげたら本当にそうなれると思う。なれるはずなのに、私には無理かもしれないとか思うんじゃなくて、なれるんだって思い切らせるように自分を許してあげる……」
テーブルの向こうの彼が、静かにそう言葉にした。許すという言葉が、僕にはとても新しいものに聞こえ、彼のこの街での意志や、決意や、覚悟というものに触れた気がした。・・・
・・・
「思うのは最初は自分なんだって。出所は自分だって。だから、自分の出所の中が大きければ、自分の行き先も大きくなるって」