ラクをする

間違う力 (角川新書)

 さすが「間違う力」を書ける人、全力でえ?そっち?という方向へまっしぐら(笑)もはや感動的ですらあるような。

 

P150

 幼少のときより、「ラクをする」ことに並はずれた関心があった。

 辛いこと、苦しいこと、疲れることがどうしてもイヤなのである。

 学校の勉強も、とにかくラクをしたいという一心でいろいろな工夫を凝らした。

 ・・・

 あるとき、ほとほとイヤになって、「絶対に重要な英単語を十個だけ覚えよう」と決めた。いかにもテストに出そうな単語だけ選りすぐるのである。それだけ覚えて、あとは捨てる。捨ててはいけないとわかってはいるが、どうせ全部は覚えられないのだからやむを得ない。だが、「いかにもテストに出そう」とはどんな単語なのか。それを知らないと十個選ぶことができない。

 そこで、英語の教科書の出題範囲を細かく見て、どの単語の頻出度が高いか調べてみた。bigとかtakeとか、目立つ単語の数を、「正」の字を書きながら数えていく。中でもhaveとtakeが伯仲したりすると、まるでマラソンのデッドヒートを見るように「どっちが勝つか」なんて興奮した。

 もう詳しくは思い出せないが、そうやって調べると、漢字にしても英単語にしても意外な言葉が上位に加わることがあった。必ずしも参考書が指摘する重要単語とは一致しないのだ。さらに、私は並の「ラクしたい人間」ではない。今やったことで目先の試験だけでなく、将来もラクをしたいので、さらに教科書のページをめくって単語の頻出度を調べた。「一回覚えたら一生もの」という単語だけを覚えたいのである。

 この作業でかなり絞られてくる。だが中にはすでに覚えている単語がある。というより、デッドヒートに興奮したりしているうちに覚えてしまうのだ。それはベストテンに入れても意味がないから除外する。たとえば四個覚えたら除外し、別の四個を追加招集する。サッカーの日本代表を選ぶようだ。

 それを繰り返していると、つねに覚えていくので、追加が終わらず、選ぶのが面倒くさくてしょうがないから、今度は「よく出る順位ベスト百」みたいなのを作って、追加の順番を決めた。ときには「横綱have、大関big……」というように相撲の番付表にしたこともある。こういう作業はすごく燃える。ラクができるだけでなく、ベストテンを選ぶとか番付を決めるという行為は、優越感にも浸れる。

「いいか、俺が選んでやってるんだぞ」という気持ちだ。ベストテンのデッドヒートであれば、「お、頑張れよ!」と英単語を上から𠮟咤激励しているわけでじつにいい気分だ。・・・

 ベストテンの次に試みたのは、自分用教科書の作成だ。

 ・・・それほど重要と思われないものや自分がもう知っていることも少なからず含まれている。そういう不要物を排除し、重要な順に並べなおしたら、もっとコンパクトになり、ラクに覚えられるんじゃないか。

 ・・・あくまで自分にとっての理想の教科書作りである。学期末の試験のたびに各科目でよくそんなものを作っていた。これもまた「ラクがしたい」「無駄な努力は絶対にしたくない」という強い気持ちの表れである。

 結果からいえば、こんなことに夢中になっているとかなりの部分は自然に覚えてしまった。「この構文は入れるかどうか」で、衆議院予算委員会並みのギリギリの折衝を―自分の中で勝手に―やるのだから、それは覚えるはずだ。

 肝心なのは、「こんなラクをしているのは自分だけだ」と思えることである。ラクしたい人間の最大の醍醐味は「人は苦労しているのに俺はラクちん」ということにある。そのために、人の気づかない抜け穴を探す。その作業はまったく苦ではなく、努力でさえなくて、純粋に面白い。