非常識さが欲しい

間違う力 (角川新書)

 

 面白いな~と思いました。

 

P82

 ・・・私が求めるのは・・・「えー、何それ?」と怪訝な顔をしたくなるような非常識さ・・・一見受け入れにくそうな話にこそ、新しい知見があると思うのである。・・・

 本書のあちこちで繰り返しているが、私は感性という曖昧なものは嫌いだ。あくまで論理的に(合理的に)考えたい。一見、非常識に思える話にもそこに論理があると「うーん、そう来るのか」と自分の知見が深くなる思いがする。

 たとえば、トルコ東部のワン湖に棲むといわれる謎の水棲動物ジャナワールを探したとき、いくつか面白い論理に出会った。

 私はもともとこのジャナワールなる動物の存在を信じていなかった。ビデオで撮られた映像があるのだがそれも「やらせ」だと思っていた。ところがちょっと調べてみると、トルコの大学教授が現地調査を行って記した「ワン湖のジャナワール」という学術文献が国会図書館東洋文庫に所蔵されているのを発見してしまった。

 こうなると確かめないわけにいかなくなり、トルコに行ってその教授に会ってみた。すると、意外なことが判明した。教授は「ヌルジュ派」と呼ばれるイスラム運動のオピニオン・リーダーの一人だったのだ。ヌルジュ派は・・・イスラム復興主義で、考え方としてはいわゆる「イスラム原理主義」にひじょうに近い。・・・今はいちおう合法だが当局に監視されている。・・・

 だから教授も私たちが訊くまでヌルジュ派だということを言わなかったし、「アッラーが云々」とも言わなかった。

 そんな思想団体のトップがなぜ熱心に謎の怪獣を研究しているのか。ちなみに、彼の専門は化学で、生物学でも地理学でもない。

 訊いてみると面白かった。彼は言う。

「この世界で人間が知っていることなどごく一部にすぎないのだ。自分たちこそ万物の霊長だと思い込んでいる人間が環境を破壊し、世界を壊そうとしている。実際にはこの世の中、人類にはわからないことだらけなのだ。ジャナワールみたいなものもいるかもしれない。それをきちんと認識しなければならない」

 表だってそう言わないが、要するに、世界は神(アッラー)が創ったものであり、人間は思いあがっているだけということである。それがエコロジーにも未知動物にもつながっているのがすごい。

 教授の未知動物との付き合いは長い。彼は七〇年代、イギリスに留学していた。そのときネス湖ネッシー・ブームに遭遇、「これもまた神の創造物だ」と確信してトルコに紹介した。トルコに未知動物ワールドを導入した人なのだ。

 といっても教授は科学者なので、狂信的ではまったくない。すべて理詰めである。

 ・・・

 ジャナワール実在を証明するうえでも合理的である。四十八人もの怪獣の目撃者を探し出し、実際に会って詳しい話を聞いている。著書には目撃者の氏名、生年、住所、電話番号、顔写真というあらゆる個人情報が掲載されている。さすがトルコ、プライバシーにはまったく無頓着だ。おかげで「仮名」や「関係者」という曖昧な言葉はなく、写真にも黒い棒線もなければモザイクもかかっていない。すべて読んだ人が実地で確かめられるようにという正々堂々とした態度である。

 目撃者を重視するのは科学的なだけでない。

「わりと最近まで、ラマダン(断食)月のはじまりと終わりは二人以上、証人がいればよかったんた」と言う。

 観察しやすい場所から三日月が初めて昇るのを見た人たちが、その時代のイスラム法学者に報告して、決定されたそうだ。

「その証人が信頼できる人物なら、イスラムの重要な習慣でも二人で十分だったんだよ。ましてや、ジャナワールの目撃者はここに載せただけでも四十八人もいる。載せなかった人も併せれば、何百人にもなる。それで十分すぎるだろう」

 あくまでイスラム復興主義的に未知動物の調査を行うとは、あまりに常識を超えていて、感嘆のため息が出た。いくら私が柔軟な発想をしようとしても、こんなのは出てこない。新しい知見がひろがった瞬間である。