忘れる力

快の錬金術―報酬系から見た心 (脳と心のライブラリー)

この本、興味深いところ満載なのですが、一部抜粋すると面白さがわかりづらくなるような…でもまだもう少し書きとめておきたいと思います。

P131
 心は不快なことを本当に忘れる力があるのか?実はこのテーマは簡単なようでいて、とても難しいために、現代の実験心理学ではひとつの独立したテーマでもある。・・・
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 さてこの研究の結論としておおむね得られたのは、考えまいと訓練したことは、より多く忘れられていったということだ。・・・まずはメデタシ、である。ところがこの研究は、忘れようとして被験者がどのように涙ぐましい努力をしているかを同時に描き出したのだ。私はそれを読んでびっくりした。彼らは最初の単語が示されたとき、それに関連したもうひとつの単語を思い出さないようにするために、別のことに意識を集中させたり、最初の単語から連想される別の単語を考えるなりして、つまり無理やりほかのことを考えることで、目標を達成していたのである。しかしこれは果たして私たちが通常考えたくないことに対して行うことなのだろうか?
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 この・・・実験が教えてくれるのは次のことだ。私たちは考えたくないことを、そうたやすく心の外に押し出すことはできない。少なくともフロイトが考えたように、心がその考えの内容にギュッと圧力をかけることで、つまり「抑圧」することで意識の外に追い出すような芸当は容易にはできない。その代わりに一生懸命別のことを考えることで、結果的にそのことを考えないという涙ぐましい努力が必要になるのだ。そうして同時に海馬の検索機能を一時的に抑え込むことで、やっと目標を達成していた、というわけである。でもそれはおそらく本当の意味で忘れたことにはならない。自分は「Aということを思い出さない努力をしている」という意識は残るだろう。・・・
 ちなみに弱い嘘つきである私たちを支えているのは、抑圧ではなければどのような仕組みなのであろうか?・・・それほど難しく考える問題でもないと思う。つまり、それを心においても痛みを感じないからこそ、そこに放置しておけるということだ。「実は魚を四尾しか釣っていないのに六尾釣ったと申告している」という事実は、良心にとって痛くないのだ。・・・
 皆さんは心理学の教科書にあった「エビングハウス忘却曲線」を覚えているだろう。人は出来事や知識を思い出さない(考えない)でおけば、自然と忘れていく。それが私たちの最も自然な忘却の仕方である。「私は話を盛っている」「四尾を六尾と偽っている」という思考は、それを頭に浮かべないことが最も快原則に合致するからこそ、心の中で「放置」され、したがって忘却されていくのだ。