cakesに掲載されていた野本響子さんの記事が、とてもよかったので、書きとめておきたいと思います。
「誰の個性もが強みになる社会の秘密」
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マレーシアのある教育者の方が、「良い学校があるわけではない。あなたの子に合った学校があるだけです」と書いていました。その通りです。
そして、これがホームスクールになると、さらに違います。
一人として同じ個性がいません。
子供たちは勝手に「自分」になっていく。
先生たちはほぼ何もせず、本人たちの方向を伸ばすだけ。
日本の場合、足りない能力を伸ばすように教育されます。ところが英国系などでは、中学生から科目を「捨てる」選択肢があります。
選択してさらに数年すると、それぞれ、いよいよ個性が強くなります。
ホームスクールで、同じプログラミングを志向していても、それぞれバラバラです。
Pythonが好きな人でも、デバッグが得意な人、ゲームのプログラミングができる人、データサイエンティストになりたい人、いろんな人がいるので、そこで分業するわけです。
ただし、この協力は決して「一致団結して同じことしなさい」ではないんです。「お互いの能力を補い合う」に近い。できることとできないことを分業するわけです。
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すると、人っていればいるほど「お、仲間が増えた」ってなるんですね。
新人がくると、「この新しい仲間はどんな能力を持った奴なんだろ。楽しみだな」と。
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これって、お互いが「違う」から成立するのです。
全員が同じタイプだと「勝たなきゃ」ってなるけど、個性が強い人ばかりだと「協力しなきゃ」になる。
マレーシアに来て分かったことは、昔は「競争」だけだった学校が「協力」に向かうっていう「変化」です。
IB(国際バカロレア)などでは学習目標に「他人と協力できる人になること」が入っています。ある学校では、運動ができる子が「自分ができて満足するだけでなく、他のメンバーを助けなさい」と言われたそう。
これはその通りで、チームとして動く場合には、全体のパフォーマンスを上げないとなりません。競争だけではない、と。学費が高い学校になればなるほど、そこも学校で教えるのです。
「自分だけがお得をする」タイプの人は、成績も上がらないことがある。中には「是が非でも我が子をハーバードへ! 他の子は全員敵!」みたいなお母さんもまだいます。
でも、もう時代が変わりつつあります。
そういう人は大学側が求めていないという話もよく聞きます。
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マレーシアに来て、多言語教育も素晴らしいのですが、一番すごいのは考えの異なる人と協力する方法を教えてくれること。
同じ人間が二人いると、競争になっちゃいますから、やっぱり個性が大事です。マレーシアで育ってる日本の中学生たちも、一人として同じタイプの子がいないんです。
全員、しっかり個性があり、その個性が強みになっている社会は、協力が前提になるので、生きやすいのです。
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これからの時代はどんどんこういう方向になっていくだろうなと、うれしい気持ちで読みました。違うから、協力できる。違うから、仲間が増えると楽しみ。
以前読んだこの本も、とても興味深かったです↓