休む、遊ぶことが世界平和に?

小心者的幸福論

 こんな考え方も面白かったです。

 

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 さて、なんのために生まれてきたかという問題だが、そのようなことをいろいろ考えた結果、私は「遊ぶために生まれてきた」という結論に達した。特に理由はない。そうした方が自分にとって都合がいいからである。

 ということで、「自分は遊ぶために生まれてきたのだ」と思うようになると、あれほど罪悪感を抱いていた「休む」、「遊ぶ」といったことに何の良心の呵責も感じなくなったのだから万々歳だ。いや、やはり初期は「こんなにサボっていていいんだろうか……」とか「こんなに遊んでばっかで何かバチがあたるのでは……」とか、小心者ならではの罪悪感が頭をもたげていたのだが、そんな時は・・・「そもそもヨーロッパの人なんかは夏休みに一ヶ月とか休むではないか」「イタリア人なんか何時間もランチ食ってるし」「そういえば前に行ったイラクでは、公務員は午前中しか働かないって言ってたぞ」などと、他国の自分にとって都合のいい情報ばかりをつなぎあわせ、自分を納得させてきたのである。・・・

 それにしても、日本人は「働きすぎ」と長らく言われてきたわけだが、その背景には「日本人は勤勉な民族」といった価値観があるように思う。しかし、これって果たして本当なのだろうか?

 というのも以前、何かの本で、この「日本人は勤勉」で「働き者」的な価値観って、なんか戦争やる時にむりやり持ち出された概念で、もともと日本人は勤勉でも働き者でもなんでもないんだってなことを読んだことがあるからである。

 そう言われれば納得で、これから戦争をおっ始めようという時に、1日12時間寝たい人とか、仕事より昼寝を優先させる人とか、そんな呑気なボンクラ人間ばっかり集まってもどうしようもないわけで、そういう人たちを勘違いさせるために「日本人は勤勉」的価値観が必要とされたのであれば非常に説得力があるではないか。

 と、そんなことを考えていくと、今私が休み、遊び、勤勉や働き者とは反対の方向を目指して生きていることは、ただ生きているだけで「反戦」思想を体現していると言っても過言でないように思えてくるから不思議だ。そう、遊んだり休んだり怠けたりすることは、結果的には「世界平和」へと繋がっていくのである。