小心者的幸福論

小心者的幸福論

 10年近く前に出たものですが、雨宮処凛さんが、小心者ゆえに編み出した「生きるのがちょっと楽になる」「幸せに近づける」「開き直る」方法を綴った本を読みました。

 そういう視点もあるなーと思ったり、参考になりました。

 

P93

 貧しい人や辛い境遇にある人を「自己責任」と切り捨てる社会は、誰もが「役立たず」と見なされた瞬間に切り捨てられてしまう社会だ。そしてそれは、いつ自分の身に降りかかるかわからない。

 そんな殺伐とした社会は病んでいると思う。しかし、かく言う私自身も数年前までは「自己責任」主義者だった。・・・

 ・・・私の意識が変わったのには大きなきっかけがある。

 それが「死ぬほど優しい人たちとの出会い」だ。まるで天使のような、或いは「馬鹿なのか?」と疑ってしまうほど優しい人たち。それはホームレスやフリーターなどの支援をしている「活動家」たちだ。多くがボランティア。活動家などというと「そんなマニアックな人会ったこともないんだけど」という人も多いだろう。その上日本では「ボランティア」という言葉自体にうさん臭さがつきまとっている。しかし、私の知る活動家たちは、「自分はこんなに優しくなくていいのか?」と改めて自らに問わざるを得ないような存在なのだ。

 例えば、有名な人で言うと、冒頭の「年越し派遣村」の村長をつとめ、内閣府参与にもなった湯浅誠さん。・・・一番驚いたのは、「ホームレスの人300人以上の保証人になった経験がある」ということだった。・・・

 ちなみに私は「連帯保証人にだけはなるな」と言われて育った。それなのに300人である。最初は「この人大丈夫か?」と思ったのだが、接しているうちにただの「いい人」ではなく、「こんな社会はおかしいから自分がやるのだ」という覚悟を感じるようになった。

 また、彼が事務局長をつとめ、私も副代表をしている「反貧困ネットワーク」という団体の界隈でも驚く出来事があった。大分前だが、「反貧困運動」を批判するメールが来たのだ。「そんなことやって何の意味がある」という内容で、メールにはその人自身が今現在生活に困窮していることもほんの少し書かれていた。「バッシング」を見て私はすぐにスルーしてしまったのだが、そこからの展開は予想外のことの連続だった。なんと、私以外の人たちはその人の生活立て直しをいかに支援していくか、という方向でみるみる行動に移しだしたのだ。動き出したのは弁護士さんや日本各地の活動家の方々。結局、その人の住む地域の活動家が会うことになったのだが、「自分たちをバッシングする人を助けようとするなんて、この人たちは、天使か?」と、何か天地が逆転するほどの衝撃を受けたのだった。

 そして、バッシングに不快になり、スルーしようとしていた自分がとてつもなく恥ずかしくなった。私って、こんなに冷たい人間だっけ?そうまざまざと感じた出来事だった。

 ・・・

 そんな「優しい」人たちの姿に、私は長らく忘れていた「人への信頼」を取り戻した。

 人って、信じてもいいのだ、と久々に思ったのだ。そして気がつけば他人に自己責任を問うこともなくなり、そうしたら自分自身、なぜか生きやすくなっていたから不思議だ。人を肯定することによって、「ダメな自分」もそのまま肯定できるようになったのだ。

 ・・・

 そうして知ったのは、「困った人を突き放すのではなく助けることは自分の精神的な健康にもいい」ということと、そういうことをするほど私の個人的なセーフティネットはぶ厚くなる、ということだ。

 例えば私がこの先、お金がなくて死にそうになったりした時、私は自分が「助けた」相手に絶対に泣きつくつもりだ。彼らにだけは私を見捨てさせない自信がある。

 結局、「優しく」なろうとしたことによって、他人に甘くなり、自分にはもっと甘くなり、「助けてくれる人」も増えたのだからいいことずくめなのだ。