意識体の分離

瞑想法の極意で開く精神世界の扉

 体外離脱について、興味深いことが書いてありました。

 人気のある?抜けた感覚がしっかりある体外離脱は思考が一つに定まらない状態で起こり、抜けた感覚のない体外離脱は思考が定まっている状態で起きるそうです。

 

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 意識体の存在をしっかりと観察できるようになると、一般的に幽体といわれているものが意識体の一つのパターンであることが判ってくる。・・・

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 ・・・意識体分離の観察を続けていて判ったことを、もう少し説明しよう。

 肉体と《根源》の中間に存在する「意識体」が認識できるようになると、意識体は肉体の束縛から解放される方向へ向かう。

 そのときに、肉体と同じ形状をしたまま分離するのが、いわゆる幽体離脱現象であり、これは思考が優位なときに起きる。思考が優位ということは、瞑想の状態でいえば想念が一つに定まらないということになる。一般的な言葉でいえば雑念が多いということになるが、これはあまり適切な言葉ではないだろう。少なくとも複数の想念が活動しているので、一つのテーマに対する集中(ダーラナー)状態になっていないといえる。

 意識体の認識がしっかりとできると、一つのテーマに対する集中(ダーラナー)状態になるが、意識体の認識がしっかりとできていなくてもこの幽体離脱現象は起きる。一般的に幽体離脱現象を体験するのはこのケースが多い。そして意識体の認識が徐々にできるようになると、肉体という形状に対する執着が少なくなるので、かなり自由になる。

 思考の活動が収まり出し、感性が優位になると、意識体がいろいろなパターンで分離できることを認識し出す。・・・五感が肉体から離れて活動できるようになる。超能力の一種で遠隔視(Remote Viewing)や千里眼(clair voyance)というのがあるが、そのうちのいくつかの例は「視覚分離」だと考えられる。

 またテレパシー(Telepathy)や天耳通といわれるものの中には「聴覚分離」のケースが考えられる。瞑想をしていて、音の聴こえ方が変わってきたら、聴覚が肉体から分離し出したと思っていいだろう。そして聴こえるはずのない音が聴こえてきたとしたら、聴覚が肉体の束縛から自由になったと考えていい。

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 また分離した感覚がどこへ向かい、どこでその感覚を認識するのかという点も私は観察した。そうすると、二つのケースに分けられることが判明した。一つは自分の潜在意識層に向かうケースと、もう一つは外界の空間へ向かうケースである。

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 私はこの観察から、瞑想体験のほとんどのケースに対する答えを出すことができる。たとえば三メートル上空から自分が瞑想している姿を見るというのは、意識体分離のうちの「視覚分離」が起きて、外界へ向かったケースである。

 まるで母親の胎内にいるような感覚を味わうというのは「触覚分離」が起きて、潜在意識層に向かい、過去の実体験に到達したケースが考えられる。また潜在意識層というのはクセ者なので、実体験ばかりが蓄積されているわけではない。たとえば何かの映像で母親の胎内にいる胎児の様子を見た記憶が潜在意識層に蓄積されていることもある。・・・

 幽体離脱、体外離脱などと一般的にいわれている現象を瞑想で詳細に観察すると、肉体から分離するのが五感のうちの何であるかが判る。・・・