つづきの話

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

きのうの記事に書いたタジボ少年との、つづきの話です。

 ・・・教会を出ると「ナギー!」とひとりの少年が私に飛びついてきた。
 タジボだ。・・・
 ・・・「ナギと一緒にごはん食べたくて!ナギのために僕のママがコーラとコーヒーと紅茶とパンとインジェラをいっぱい用意してくれたから、今日こそお願い!僕ん家に来て!」と言う。・・・
 タジボの家にお邪魔するにあたって、さすがに手ぶらでは行けないので一度タジボと別れて、私とベイユーは手土産を買いに行った。お菓子やジュース、石鹸や砂糖なんかを買い込めるだけ買い込んで、タジボの家があるサタデーマーケットへと向かった。
 ・・・
 タジボの家は、私が想像していた以上に小さな家だった。4畳半程度のスペースに裸電球がひとつ灯る倉庫のような場所に、タジボはお母さんと兄妹4人で暮らしていた。
 正直、私たちが座るようなスペースも椅子もない。けど、お母さんは自分の商売道具でもあるトウモロコシが入っている袋の上をパッパと叩いて「ここへお座りなさい」と、私とベイユーに席をつくってくれた。・・・横を見ると、わずか4畳半の狭いスペースに30人を超える人が押し寄せていた。しかも、家の外は入りきれなかった人であふれている。タジボ曰く、外国人の来客は非常に珍しいらしく、近所の人が面白がって見物しに来ているという。
 ・・・
 そんな中、タジボのお母さんは私にパンを差し出しながら「なぜ、ウチの息子はこんなにもあなたになついているのですか?」と尋ねてきた。ベイユーは私の代わりに私とタジボの出会いをお母さんに話してくれた。タジボのお母さんは穏やかな表情で、静かにベイユーの話を聞いていた。・・・
 そんなお母さんの姿を見て、私は事前にベイユーに相談していたことを切り出してもらった。
「タジボのために何かお手伝いできること、私にはないですか?」
 タジボと出会ったあの瞬間から"自分がこの子に何かしてあげられることはないものか"という思いがずっとあった。今まで私が出会ってきたアフリカの子供たちはどこかで"お金を持っている者が、お金のない人間に施しを与えるのがあたりまえ"という考えが根本的にあるような感じがしていた。もちろん、アフリカの子供たち全員ではないけれど、かなりの人数が、お金は稼ぐものではなく、もらうものだ、と幼いころから認識してしまっているような気がしていた。
 ・・・
 そんな環境下でタジボという人格が形成されたことに私は驚いたし、ただただ"これからもずっとピュアで正義感の強いタジボであってほしい"と思った。
 ・・・
 私がタジボに何かしてあげたいと感じている気持ちはまぎれもなく本心なんだけど、はたしてこの思いが"偽善とか同情だったら……"と思うと、・・・
 それから、もうひとつ、私には引っかかっていることがあった。
 それはタジボ以外の子供たちのこと。・・・私がタジボだけに何かするというのは、はたしていいことなのかな?と。・・・
 ・・・今の私にはタジボにほんの少しの協力をすることが精いっぱい。とはいえ、力になると言って途中で何もしてあげられなくなるような無責任なことはしたくないし……
 私がひとりで答えを出せないでいると、ベイユーが手を差し伸べてくれた。ベイユーは「・・・自分のできる範囲内で、誰かに力を貸してあげられることはすばらしいと思う」・・・「・・・貧しい人たちほどみんなで協力し合って生きているから、そういう人たちは他人の幸せも自分のことのように喜べるんだよ。確かめてごらんよ」と。
 その言葉どおり、私がタジボのお母さんに「何か力になれることはないか」と切り出したときも、周りにいた人たちのほうが自分のことのように喜んでいて、誰ひとりねたんでいる様子の人はいなかった。私はタジボのお母さんに「私はお金持ちではないので大きなサポートはできないのですが、私のできる範囲で、タジボの将来を少しだけ応援させてもらえたら嬉しいです。・・・」と伝えると、お母さんはこう返してくれた。
「神様が、息子のもとにナギを送ってくださったのだと思います。私たちは貧しい生活には慣れております。だから大金も必要ありません。ただ、しいて言うならばウチの子は半ズボンしか持っていません。朝と夜は寒く、足もケガばっかり増えてしまうので、長ズボンだけいただけたら嬉しいです」と。
 私が彼らに何かを与えるというよりは、私が彼らから学ぶことのほうがあきらかに多い気がした。