失敗も不完全さも

日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)

 

 こんな環境で子供時代を過ごせたら・・・とうらやましくなりました。

 

P74

 マレーシアのインターナショナル・スクールでは、クラブ活動はたくさんのリストから毎年2~3種類を自分で選ぶのが一般的だ。・・・

 一番戸惑ったのは、毎年同じクラブ活動を続けることが推奨されていないことだ。

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 つまり、興味のあることを「あえてやらせない」。そのかわりに、新しいことに挑戦させているというわけだ。

「自分にとって、ある活動が、おいしいかおいしくないか、全部トライして味を見極めることができるんだ。喩えれば、子供は草がたくさん生えている〝可能性〟という宝探しの場所にいるようなもの。本来は(やりたいことを探すのに)まわりの草をちょっとずつ刈って道を開くんだけど、これなら全方面の草を一気に刈ることができる。すると全ての道が見えるようになって、自分に本当に合っていることが見つかる。あるいは僕たちが普段シャベルを使って土を掘っているとしたら、この学校はショベルカーを使っているみたいな感じかな」

 これを聞いて、私は、日本の常識とは全く違う考え方をする長男にビックリした。確かに、食わず嫌いというか、やらず嫌いはあるだろう、自分が得意でないことを含め、あえてそれを小さいころに全部体験させておくという考えもアリかもしれない―ようやく、そう思うようになってきた。

 先生たちは「おたくのお子さん、音楽に向いていますよ」「いい絵を描くのでアート&クラフトを体験させてみてはどうですか」などと、提案してくることが少なくない。

 ・・・その度に、親にはない見方をする大人がまわりにいることのありがたさを感じる。

 もちろん、これは先生たちの「その子の良いところを必死で探す」「穴があくほどその子を見ている」という助けなしには難しい。インターナショナル・スクールの先生たちはクラスが少人数のためか、基本的に時間に余裕があり、子供たちを観察することに集中できる。だからこそ、子供たちの適性を見たり、アドバイスしたりできるのだろう。

 子供はこれに感激した。「とにかく、先生たちは子供の良いところを必死に探している感じがする。だからどんなに大人しい子も、シャイな子も、良いところを見つけてもらえる」。

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 そういえば、・・・あるインターナショナル・スクールに行ったら、教師が「失敗するのは良いことです」と言っていたので驚いた。子供たちに聞けば、その学校ではスポーツの下手な子に対してヤジることがないのだという。嫌いだったスポーツが好きになった、と話してくれた日本人の子もいた。

 子供たちに、「不完全なままで良い」と言ってくれる先生も少なくない。子供が以前、大好きだったインド人の先生からもらったメッセージが、感動的だった。

 

 どうぞ忘れないで。

 ただ、あなたらしくいてね。人々にありのままのあなたを見せてね。不完全で、欠点があって、変わっていて、楽しい、そしてマジカルなあなたを。あなたには代わりがいないのです。

 そのまま、いつもハッピーにしていてね。