どの場面にも善と悪がある

一切なりゆき 樹木希林のことば (文春新書)

ここも印象に残りました。

 

P120

 私の場合、がんの治療前後で、生活の質に大きな変化はありません。映画(『神宮希林 わたしの神様』)の中でも、私は、「高齢者をいたわりなさい」などとブツブツ言いながらも、石段を登ってお参りしたり、式年遷宮で使うヒノキを育てる神宮林という山を歩いたりしています。無理をして元気そうに見せているわけではなく、これが自然体なんです。そこには、医学による治療だけではなく、多分に心の状態が影響していると思います。体調の基本となる血液のめぐりや栄養の吸収などは、私自身がもともと持っている生活習慣や心のあり方と直結していると感じています。心の問題と、医療でつぎはぎしたりして悪いところを取ったりする技術とが融合していかないと、本当の元気は手に入らないのかもしれません。

 西洋的な二元論の考え方に従えば、病気が〝悪〟で病気でない状態が〝善〟。でも、一つのものに表と裏があるように、物事には善の面もあれば、悪の面もあるとわたしは思うんです。そういう東洋的な考え方が自分の体の中に入ってきて、宇宙の大きなものに対して働きかけるような、「祈り」という行為に感応していく。それが総体的にひとりの人間となって生き生きしてくるんじゃないかという感覚なんです。どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろうと。