見えなくても、きこえなくても。

見えなくても、きこえなくても。

 2歳の頃高熱で耳が聴こえなくなり、32歳で視力が低下し始め、40代には全盲になった久代さんと、後に夫となった好彦さんのお話。お二人の生き方は、まさに「生きる」というか、比べたら自分は寝ぼけてるようなぼんやりした生き方かも・・・と思うほど、くっきりとしっかりと生きている印象で、ただすごいなぁと感銘を受けました。

 最初から最後まで心に残るお話ばかりだったので、長くなりますが一か所だけ書きとめておきたいと思います。

 

P82

「旅に出よう」

 三十歳の誕生日を前に、好彦さんは決心をする。

 ・・・

新しき村を出た理由ですか。人間が持っている矛盾につきあたった、といえばよいでしょうかねぇ。人間は〝~のために〟だけでは生きていけない。

 ~のため、~でなくてはならない、と考える一方で、~したいという欲も煩悩もある。その相反する矛盾を、どう処理したらよいか、わからなくなってしまったんですわ。・・・

 そのためには、一度ゼロになって〝自分〟を捨てるところから始めようと思いました」

 九州から四国、東北の青森まで野宿して歩いた。明日の計画は立てない。旅先で出会う人に「この辺で、よいお話を聞けるようなえらい人はいませんか」と尋ねた。座禅の会があれば、参加し、寺や道場に寝泊まりした。

「変わり者だねえ」と言われながら、僧や農業に打ち込む人など、学問や肩書に関係なく深い生活をしている人を行く先々で紹介してもらえた。・・・

 ・・・

「旅をしてみると、人間というのはお金がなくても助け合って生きていけるものなのだと、腹の底からわかる。よし、僕も逆に困っている人がいたら助けてあげようと強く思いましたね」

 お金がなくなると、旅先の農家で一週間ほど畑仕事を手伝っては手間賃をもらい、食いつないだ。パンと水だけで二年間もよく旅ができたものだと笑う。

 岐阜の郡上にある水晶山を歩いていたときのことだ。パンも底をつき、食べるものが何もなくフラフラになって歩いているとき、ふっと心が軽くなるのを感じた。心がひとつになるような、宇宙の中に身を委ねてたゆたうような不思議な感覚だった。

「そうか、自分も大きなものの中のひとつなんだと、天から降ってくるように、その瞬間わかったんです。宇宙とか自然とかその中のひとつであって、自分はそういうものに、生かされて生きているんだとね。

 空気もなければ人は生きていけないでしょう。百姓だって自分の力だけではできない。光とか水とか土とか、自分なんかおよびもつかない天地のエネルギーで作物は育つ。

 たとえば陶芸だって、窯に預けたらあとはどんなのができあがるのかは天に任すのみで人間は何もできないでしょう。

 人間にはどうしたって自意識がある。その後ろに自分を支えてくれている天や地や、宇宙という大きな存在がある。自意識を否定したり、結果を求めてイライラするのはやめて、もっと大きなものに身を委ねて自然体で生きてみよう。焦ることも、結果を急ぐこともないんだ。今日と明日はつながっている。今日の中に明日もあるのだから。そう思った瞬間、空や雲や空気と一体化するような、ふわりと体が浮きあがるような、なんともいえない爽快な気持ちに包まれました」

 ・・・旅の果てに奥飛騨の山中で体験した不思議な一体感は、「自分は生かされている」という揺るぎない真実を導いてくれた。

「もう一回、今度は定着した生活の中で農業をやってみよう。自然に身を委ねながら、自分を磨いていこう」

 旅の最後、京都の座禅の会で友達になった大藪利夫さんは、リュックひとつで丹後半島に旅立つ好彦さんを目撃している。

 ・・・

 その十五年後、大藪さんのもとに、今度は京都府竹野郡弥栄町味土野に移住したという知らせが届く。大藪さんは言う。

「米も味噌も醤油などほとんど自給自足の生活で、竹細工や藤織りもやる。年間の収入が三十万という質素な生活はどこに住もうと、変わりません。梅木さんの生き方も考え方も一貫して、いつ会っても変わらないのです。現実にああいう人が生きているという事実が、僕にとっての勇気であり、一年に一度は会いたくなる。今でもそう思える大事な友達です」