阿部さん夫婦のおべんとうの時間シリーズのファンで、こんな本も出てたんだ、とうれしく読みました。
こちらはプロパンガス、灯油販売、パン屋、宿泊・バーベキュー施設と色々やってらっしゃる井上店。
P52
佳洋 商売はうちのおばあちゃんが始まりなんです。まだ若い30代で夫を亡くしたんですよ。俺の母親が小学校4年の頃。近所の人が商売をやればって助言してくれてね、籠を背負って山を越えて山梨の方へ日用雑貨を仕入れに行ったんですよ。檜原に戻るとあっという間に売り切れるから、また山を越えて。
百合子 歩いてだから、ホントすごいんですよ。
佳洋 お袋が店を継いで、親父は婿で入ったんです。文房具から雑貨、お菓子まで何でも売ってて繁盛してたの。そしたら近所の人に〝これからはプロパンガスがいいよ〟って言われてね。
百合子 まだこの辺は、薪が燃料でしたから。
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佳洋 大学の土木科を出て、結婚当時は土建会社の社員でいいお給料を貰ってたんです。ある時親父に、この商売をどうするかって聞かれてね、俺が戻ってきても月3万円しか払えないって。それじゃあ無理だって言って帰ろうとした時、振り向いたらガラス越しに肩を落とした親父の姿を見ちゃったのよ。それで、決めた。よし、帰るぞって。
百合子 お義父さん、ひとりでプロパンガスの他に灯油もやってたんです。小さなローリーで、扱える量もちょっとで。
佳洋 退職金と貯金をつぎ込んで、俺はこれに賭けるぞって、灯油の地下貯蔵庫を造ることに決めたんです。自分で穴掘って造りましたよ。その半年間、近所の人は〝何やってんだ?〟って見ててくれてね、オープンしたら、親父が1週間かけて売ってた灯油が1日で売れたんです。嬉しかったなあ。
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60キロのボンベ担いでたから、肩にガスダコがあるの。檜原は土地が平らじゃないから、肩に担いで山登るのよ。おかげさまで灯油で300軒、ガスで250軒くらい回らせてもらってます。俺、山の仕事も好きでね、林業もやってるんです。仲間と紅葉も植えてるの。山に入ると間伐した杉や檜がそのまんま捨ててあってね、それを自分で製材したんです。その材木置き場を造ろうって思って建てたのが、このパン屋の建物。
百合子 「この場所半分やるよ」って言われて、気づいたら材木置き場じゃなくてパン屋をやることになってました。私、酒饅頭を作るのが好きでね、その酒種でパンを焼いてみたら美味しいって言われて。その後、この人がテラスまで自分で造ってくれて、週末お客さんが来てくれる場所になりました。渓流を眺めながら食事ができます。そしたら、いつの間にか泊まれるログハウスとかいろいろ彼が造って増えていってね。
佳洋 俺の場合、もったいない、から始まるんです。まだ使える木が捨てられてるから、何か作ろうかなって。大工さんが廃棄しようとした外壁貰ってきたり、トイレの便器だって貰いもん。あれもこれもやりたいっていうより、気づいたら集まってきちゃった。なんかさ、自分の人生は決まってて、それに向かって進んでる気がするのよ、最近。
百合子 だから私たち、流れにそのまま身を任せてるのよね。
こちらは立ち食いそば屋、立喰そば八兆。
P100
淳 うちは、昭和の雰囲気そのまんまの立ち食いで、固めに茹でおきした麺を温めて出すスピード重視でやってます。朝の出勤時間帯は、特に忙しいです。
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麻衣子 うちは、発券機を置かずに口頭でのやりとりなんです。食べてる最中に、「揚げたて入れてよ」って気軽に追加できます。でも、私たちが先代から引き継いだばかりの頃は、計算が……。
淳 慣れるまでは、休みの日に家で「かきあげそばに卵でいくら?」とか、お互いに問題を出し合いましたよ。「大盛りでワカメもね」「おにぎり全種類」なんて言うと、「何でそんな嫌がらせするのよ」って、本気で喧嘩になってね。
麻衣子 お客様が次々入ってきてオーダーするので、こっちもすぐに暗算できないといけないんです。紙に書く時間もないので、従業員みんなが順番とオーダーを覚えているようにして、時々声に出して確認してますね。
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臨機応変に、その場その場の対応です。ワカメのかわりにネギ多めがいい人、ナルトはいらない人、猫舌の人、喋りたい人、静かに食べたい人、必ず隅っこで食べたい人、皆さんそれぞれの思いがあるんでね。この店は、私の叔母夫婦が昭和58年に始めたんです。おじちゃんが体調を崩して、廃業の話も出たんですが、平成28年2月に、私たちが引き継ぐことになりました。最初の年は、おばちゃん指導のもとで私たちも必死でしたけど、お客様に支えてもらいました。
淳 僕はもともと飲食の仕事をしていたので、この店をやれるのはすごく嬉しかったんです。・・・天ぷらは、家庭菜園の野菜を使うこともあるんです。今作ってるのは、白菜、じゃがいも、ザーサイ。週に一度の休みは、仕込みもあってほとんど休めないんですけど、畑の世話が楽しくてたまらないんです。
麻衣子 ビール飲みながら草取りして、夜7時には寝てるよね。
淳 自分は朝5時には店に来て仕事を始めるので、寝るのは普段でも夜8時ごろなんですよ。
麻衣子 だからうちの夕飯は早くて、5時ごろなんです。家族みんなで食べてます。その後、私は小学生の息子2人の宿題を見たり、家事をして、8時半には家族全員で寝てますよ。
淳 金曜ロードショーなんて、うちじゃあ深夜枠ですからね。「トトロが見たい」って息子たちが言った時も「いやあ、うちは無理だよ」なんて諦めたから。休みの前日だって、夜更かしはしません。正月も3日休みがあるけど、いつものペースですよ、きっと。それが、体調を崩さずに頑張れるコツですね。
こちらは洋服のお直しなどされているretouches。
P140
佳名子 大学で服飾を勉強して、いざ就職を考えた時に、パタンナーやデザイナーになるのか、縫製業務か、職種を選ぶことができなかったんです。洋服を作ることの全部が好きで。ひとまず服の販売員をやってみたら、接客は全然向いてなくて。すらすら言葉が出てこないから、全然売れない。ただ、そのお店には出入りの〝お直し屋さん〟がいたんですね。・・・そうか、こういう仕事だったら楽しくやれそうだって思って、お直し屋を始めたのが、25歳です。・・・
・・・ある時、紳士服を頼まれたんです。昔流行った肩幅がぼこっとしているスーツで、「肩をすっきりさせたい」と。ほどいてみたら、紳士服って布がいっぱい挟まっていて、婦人服と全く違うんです。どうしようって思って、母校の大学の図書館に行って、紳士服の資料を片っ端からコピーしました。その時は、何とか直したんですけどね、これは勉強しないといけないなあと思って、夜間学校に通ってテーラーの職人さんからスーツの作り方を教えてもらいました。3・11の震災の年、それまで掛け持ちをしていた飲食店のバイトを辞めて、お直しだけでやっていくことにしたんです。
博之 震災の年、僕は3年勤めた恵比寿の洋服屋を辞めて旅に出ました。ヨーロッパを回って、帰国してからはアクセサリーや革小物を作るようになりました。もともと、革ひもや糸を編んでブレスレットを作ったりするのが好きで、旅の間も蚤の市でいろんなパーツを買い集めたりしてましたね。旅の後、声をかけてもらった企業に勤めることになりました。店舗兼工房で、オーダーメイドのデニム服を縫う仕事です。・・・
佳名子 ある時、今もお直しの仕事をいただいている古着屋さんで、パーティーがあったんですね。店の人に、「こいつも縫えるんだよ」って紹介されたのが、彼だったんです。デニムのリペアのことを教えてもらったり、彼からジャケットのお直しを頼まれたりして仲良くなりました。
博之 結婚して4年になります。彼女のお直しの仕事が増えたのと、この物件を見つけたこともあって、勤めを辞めて1年半前から一緒に仕事をしています。それぞれの得意分野をやる感じですね。僕はミシン仕事やデニムのリペア、革小物作りとか。
佳名子 私は、ちくちく手縫いが好き。洋服のつくりは様々なので、ほどいてみて「おおっ」っていうことの連続なんです。楽しいですよ。例えば、毛皮のコートの袖を外してベストにして、エルメスのスカーフを裏地にしたい、っていう依頼をいただいたことがあるんです。毛皮をひっくり返したら、ちっちゃい動物が何匹もいることがわかりました。毛皮は学校でも勉強したんですけど、毛皮のコートに鋏を入れるのは初めてで、緊張しましたね。夫婦で一緒にやっていると、どんな時でも相談できるのがいいですね。
こちらは今は閉店されたそうですが、うなぎ屋ふな与。
P152
万里子 嫁入り道具はいらないから、車の免許だけとってくるように義父に言われたんです。昭和32年の頃、教習所に通う女性は2人くらいでしたね。
義一 うちはルノーで出前するうなぎ屋だったの。当時、大泉で車持ってる人はほとんどいなかったんです。会社の接待でうちを使うでしょ、「大事なお客さんだから、家まで送ってやって」って頼まれましたよ。出前担当の弟が、「明日午前11時ごろ、器を下げに来てくんないかな」って言われて行くと、「悪いけど、駅まで乗せて」って、そういう時代。親父には、先見の明があったよ。
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うなぎは、べらぼうに高かったよ。もりそば20円の時代、うな丼200円だったから。そのかわり、いくつも売れなくとも食っていけたんです。飛ぶように売れるはずなんかない。でも、それで良しとするのが生業ってもんだよ。残った時間は好きなことをする。この仕事を片付ければ遊べるって思ったら、さっさと片付ける。これだよ、江戸っ子の商人は。1分でも早く、仕事からフリーになる。それが甲斐性だ。何のために働くかって、遊ぶためだよ。それは僕、親父から受け継いでる。
万里子 今は息子たちに店を任せてますでしょ。遅くまで仕事してるの。明日やれば?って思うけど、そうはいかないって。
義一 僕らはさ、宴会が入って夜遅くなったら、片付けは明日の朝やろうって言ってたよ。忙しくって夕飯作る時間がなければさ、寿司でも何でもとろうって考え。
万里子 おそば屋さんには随分お世話になりました。
義一 東京の商人ってのは、そういうふうにしてお互いにお金を使いっこするわけよ。
