不思議というには地味な話

新版 近藤聡乃エッセイ集 不思議というには地味な話

 近藤聡乃さんの漫画が好きで、エッセイ集が出てたので読んでみました。

「不思議というには地味な話」というタイトルも、内容も、独特なんだけどさらっとしてるというか、なんともいえない世界が広がっていて、いいな~と思いました。

 たとえばこちらは「二十年後の皺寄せ」というエッセイです。

 

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 十歳くらいの頃、夕方五時半に時計を見上げ、「夕ご飯まであと一時間半もある。どうやって時間をつぶしたらいいのだろう」と途方に暮れたことをなぜか覚えています。たぶん宿題もやってしまって、テレビも観たい番組がなく、母の手伝いをする気も全くなかったようで、暇つぶしにブロックで遊んでいた時のことです。

 二十年間記憶に留まる途方の暮れ方も尋常ではないですが、それよりも「一時間半」に対する感覚の違いに驚きます。昨日も、ちょっと時間つぶしにコーヒーを飲もうとデリに入り、カウンターに座ってぼんやりしていたらあっという間に三十分たってしまい、コーヒーは半分しか飲めませんでした。飲み干すまであと一時間ぼんやりしていられた自信があります。「一時間半」なんて今ではあるようなないようなものなのに、二十年前は絶望的に長い時間だったようです。

 私のアニメーションは、一秒が十五枚の絵からできています。「十五分の一秒」というと一瞬のように思えますが、実際に目で見てみるとはっきりとわかる大きな単位です。例えば人物に動作をつける時、十五分の一秒目に動作を開始するのと、十五分の二秒目とでは間合いが変わるため、その人物の感情が全く違うように見えることもあります。十五分の一秒にするか十五分の二秒にするかどうしても決まらないので、とりあえず後回しにしておいて、次の日に一秒ずらしたらピッタリした、など時間の感覚もその時々です、去年の元旦に「あと四分も」作らなくてはならないのに「十ヵ月しか」時間がないと顔面蒼白になった記憶が未だに生々しく思い出されますが、そんなふうに十五分の一秒のことで頭を一杯にして、約六分半の映像を作るのに実作業だけで一年半かかりました。完成に一年半かかる作品なんていくらでもありますが、アニメーションは単位が時間な分、製作時間とどうしても比較したくなります。凝縮されたような膨張していくような特殊な時間の流れを感じながら一年半を過ごし、完成してからのんきに思い返すと、総括としては「あっという間だったなぁ」と感じるので不思議です。

「時間」とか「人生」というのを頭の中で想像すると「一枚の横長の白い布」が頭に浮かびます。右端からはじまって左に行くほど歳をとっていくというイメージなのですが、アニメーションを作っていた時期は、横からキュッと押し縮められて布に皺が寄っていたのではないかと思います。皺が寄っている分いつもより短くなって、普段よりササっと通り過ぎてしまった、という解釈です。そこに皺が寄ったということは、その左右は引っ張られて伸びていたはずです。子供の時に一時間半がやけに長く感じたのは、二十年後のアニメーション制作による皺寄せの「皺寄せ」だったのかもしれません。