親の愛

江戸の備忘録 (文春文庫)

 この父親も母親も、すごいなぁと思いました。

 

P133

 武者小路実篤は、大正・昭和の小説家である。お公家の子孫だから、子供の頃は学習院に通った。成績は悪かった。・・・実篤の成績はビリから四番目で・・・

 ただ実篤には卑屈なところがみじんもなかった。それには秘密があった。

 実篤は二歳で父親を亡くしている。病気であった。実篤の兄は生まれつきの優等生。病気の父の枕元を静かに歩いた。だが実篤は暴れん坊。ドタバタ歩いた。母が静かに歩くよう注意すると、父は言った。「元気に歩いているのを喜んでいたのだ。しかるな」。実篤は、この父の言葉を母から聞かされて育った。時々思い出しては、父の愛を感じたという。

 また父は死ぬ直前、実篤を抱き「この子はよく教育してくれる人があったら、世界にひとりという人間になるだろう」と言った。この言葉ほど、実篤を勇気づけたものはなかった。成績で人間は測れない。自分は世界でたった一人の人間になろう。実篤は一生涯、父の言葉を胸に刻んで生きてきた。そして小説家・武者小路実篤が誕生した。