めでたい

江戸の備忘録 (文春文庫)

 黒船を怖がることなく、乗せて連れてって欲しいと乗り込んでいけるって、すごいなーと思いました。

 

P139

 安政二(一八八五)年正月元旦。萩藩(山口県)の野山獄に変わった囚人がいた。キツネ目でやせ形、ひどく理屈っぽい。なんでも、ペリーの黒船に小舟でこぎ寄せ、アメリカに密航を企てた危険人物だという。ところが、元旦から、この囚人が「妹に手紙を出す」と、獄中、せっせと筆を動かしている。その手紙が、なかなか面白い。

「新年おめでとう」というが、なぜ新年はめでたいのか。その理由を妹に説明するのだといって、理路整然と書いている。

 めでたいの目は目玉のことではなく、木の芽、草の芽のことである。木草の芽は冬至から一日一日、陽気が生ずるにしたがって萌え出る。この陽気は、物を育てる気で、人の慈悲仁愛の心と同じ。天地にも人間にも好ましい気だ。つまり、陽気が生じて、草も木も芽が出たいと思うのが、おめでたいということである。人間の場合は、新年で、きたない心を洗い流し、人間の本心である優しい気持ちに戻ることが「新年おめでとう」の真意である。囚人はそう書いていた。

 その言葉のごとく、囚人は出獄すると、自分が春の陽気になったつもりで、人を育てはじめた。囚人の名は吉田松陰(一八三〇~五九)。彼の教えた松下村塾からは、高杉晋作桂小五郎伊藤博文らが出た。彼の春風のような教えをうけて、ほんとうに、近代日本の蠢動がはじまったといってよい。