みんなで育てるということ

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

きのうアップしたのに、なぜか遡って4月28日の記事ということになってしまっていました。なんででしょう?

というわけで、もう一度アップし直します(^_^;)

アロペアレンティングの話のつづきです。

 

P157

 プナンのアロペアレンティングは、血のつながりのない親子のフィクティヴ(擬制的)な親子関係を血のつながりのある親子関係に加えることによって、多数の大人が子育てに関わることである。親が養子を引き取って、自分の家の中だけで育てることはない。プナンの社会空間それ自体はとても開放的な空間であり、養子は、養親と生みの親だけでなく、共同体に出入りする大人たちによって養育される。多数の子どもたちに対して、多数の大人たち、年長者たちが入り混じって養育に加わる。

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 プナン社会では、フィクティヴに結びつけられた親子関係が生物学的な親子関係と混ざりあっていた。そのことが、プナンの家族という現実を構成していた。養子と実子がひとつの家族の中で互いに混ざりあって、親子という現実をつくり上げているのだ。プナンの家族については、そのどちらが「本当の」親子関係だと言うことはまったくできない。プナン社会では、実の子であれ他人の子であれ、親とのあいだに結ばれるのが、親子の関係に他ならない。

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 プナンのアロペアレンティングは、・・・プナン社会に深く広く浸透している共同所有の原理に根ざしているという見方もできるように思われる。それは、自然に対峙するプナンが、人間同士のコミュニケーションを行う際の根本原理である。

 人間には、生まれながら、自動的に共同所有の観念が植えつけられているわけではない。プナンは、「本能」としての個人的な所有慾は否定され、後天的にシェアする精神が養われる。

 実子以外に養子を取ることは、すでに所有しているものに飽きて、新たな所有を目指すことではない。プナンのアロペアレンティングを駆動させているのは、むしろ、養子を所有することによって逆説的に、個人的な所有への本能を緩める力なのではないだろうか。養子とは、一見すると新たな所有であるように思われるかもしれないが、実は、子どもを共同体で、みなで育てることにつながっている。そのことで、子どもを個人的に所有するという考えは否定され、共同所有というプナン社会を支える根本原理が強められているのだ。