アロペアレンティング

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

アロペアレンティングとは、実の親ではない人物による養育という意味の用語だそうです。

プナンは、子育てもユニークでした。

 

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 プナンは、「アナック・ラン(実の子)」と「アナック・アムン(養子)」を区別することがある。しかし、実子か養子かを問わず、親たちが共同で子育てをすることに、プナンのアロペアレンティングの主眼がある。そのため、夫婦には子どもがすでに何人もいるのに養子を迎えたり、祖父母が娘の息子を養子として引き取って育てたりすることがある。子どもの側から見れば、養親とともに生みの親が近くに住んでいることがほとんどで、その場合、養親と生みの親のどちらとも頻繁に行き来をすることになる。

 五十歳代の男性ジャガンのアロペアレンティングを含めた子育てを見てみよう。プナンの配偶制度は一夫一婦的で、男女が次から次へとパートナーを替えていくことで、一夫一婦の原則は保たれている。男女の結びつきが先にあり、実子にせよ養子にせよ、子を得ることが、プナンの「結婚」である。

 ジャガンという名の男性は二十歳になったころにパートナーと暮らすようになり、その後三人の子どもをもうけた。三十歳を目前にそのパートナーと別れ、子どもたちは、母親と一緒に暮らした。その後、ジャガンは新たなパートナーを見つけたが、その女性との間には子どもがすぐにはできなかったので、養子を迎えて育てることにした。五年ほど経つと、ジャガン夫婦には相次いで二人の子ができ、養子一人と実子二人を一緒に育てることになった。養子は、ジャガンと、近隣に住む彼の実の親とその家族の間を行き来しながら大きくなった。

 子育てが一段落すると、ジャガンと妻は幼い子がいないのは寂しいという理由で、近隣に住む親族(後述するスリン夫婦)から生まれたばかりの乳呑み児を養子として迎えた。乳呑み児には最初、生みの母親によって母乳が与えられ、その後、ジャガンたちが主に養育するようになった。その子が歩き始めるころに感染症で死亡すると、ジャガンは、その後、近隣で生まれた新生児を新たに養子として迎えた。

 もとより、こうしたアロペアレンティングは、ジャガンと彼の妻が始めたものではない。ジャガン自身も、養父によって主に養育されたし、彼の母の兄弟姉妹たちが暮らす場所で、親たちの世代の大人たちによって育てられて大きくなったのである。

 スリンは二十歳代で、ジャガンのいとこにあたる女性とパートナーになった。第一子は女の子で、生まれるとすぐに隣住の子どものいない夫婦のもとに養子に出された。第二子、第三子は女の子で、スリン夫婦のもとで育てられた。第四子は女の子で、すでに何人かの子どもがいる別の隣住の夫婦のもとに養子に出された。第五子は男の子で、スリンたちのもとで育てられた。女の子であった第六子は、上で見たジャガンのもとに養子に出されたが、幼くして死んでしまった。第七子の女の子は、第一子と同じ夫婦のもとに養子に出された。第八子である男の子はスリンが育てている。スリンは、八人の子どものうち四人を養子に出しているが、養子先はすべて近隣の家族である。子どもたちの側からいえば、いつでも実親・養親のどちらとも会える距離にいたことになる。