反省とは?

ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと

著者が帰国して、大学の授業で、プナンの反省しない文化について紹介したら、学生さんからこのような感想があったというところ、興味深かったです。

 

P58

 プナンの「反省」をしないという社会は、うらやましいと感じました。人にとって自分を批判するという行為はとても辛いことであるし、プレッシャーとなり、ストレスになるのだと思います。私は今までそういった社会で生き、それが当たり前だと思っていましたが、今回の授業で「逆になぜ私たちは反省するのか」という疑問を抱きました。反省するということは、「悪いことをしてしまった」という罪悪感があるからだと思います。しかし、そういったことを気にしながら生活するのは、何かもったいないと感じました。いつも何か気にしながら、ストレスを抱えて生きるよりも、プナンの人のように生きられたらどんなに良いだろう……と思いました(四年)。

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 ・・・反省するとはいったいいかなることなのか……共通しているのは、授業の中で「反省しないで生きる人々」を紹介され、自らの問題として考えてみることで、揺さぶりをかけられているという点である。・・・

 みっつめに、プナンはほんとうに反省していないのかという疑義を呈示するリアクション・ペーパーを紹介しよう。

 

 人の物を盗んで酒を買うお金をつくってしまうプナン人の例が出てきましたが、確かに彼自身はそうすることが悪とは思っておらず、反省をしていません。しかし、盗まれた村人たちは話し合いの場において盗まれては困る、ではどうしたら盗まれないのか?と話し合っています。これは反省ではないのですか?自分の物の監視がゆるかったことをかえりみて、そのことについて、どうすればそれが改善されるかということを考えていると思います。それは反省には入らないのでしょうか?(三年)

 プナン社会の「反省しない」とは、はじめ悪い意味で捉えていたのですが、個人ではなく、全体でどうすればいいかとする解決法は好ましいと感じました。一つの事象で独りが向上するのではなく、複数で共有することができる点がプナン独特なものではないでしょうか(三年)。

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 ・・・ふだんは思いもつかない切り口で考えてみることが、私たちの想像力を膨らませる・・・

 反省することは、はたして、人間に本来的に備わっている思考と行動のパターンなのだろうか。いや、自らを再帰的に振り返るという思考と行動が、ある時から出てきたのだろうか。そうだとすれば、私たち人間は反省する文化を持つようになったのだと言える。個人的な反省ではなく、集団的な反省のようなものがあって、人類の生存価が高まったのかもしれない。集団が先か、個人が先か。反省とは個的な行為なのか、あるいは社会的な行為なのか。