生きがい

85歳のチアリーダー

積極的に見える生き方をしつつも、こういう思いもあり…そういうものだよなと自然に感じました。

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 ・・・出産は赤ちゃんにとっても人生最初の試練です。それが難産で、生きるか死ぬかの危機にさらされると、その恐怖や不安は心理的に潜在意識に残っているというのです。
 それを聞いて、腑に落ちたことがありました。
 私は生後2〜3か月のとき、兄とともに無熱性肺炎にかかったそうです。東京で開業医をしていた叔父が看護婦を連れて駆けつけてくれ、「二人を助けることは難しい」「長男を優先して文恵は諦めろ」と何度も言ったそうです。
 もちろん、私の記憶にはありません。でも、どこかで何かそのときのことが潜在的にインプットされているような気がするのです。
 幼い頃から、「なんで生きているんだろう」「生きることになんの価値があるのか?」ということを考えていました。
 女学校時代、友だちに話すと、「そういうこと考えるのは、ヒマなのよ」と言われショックを受けて、それからは人に言うことはありませんでしたが、"生"への疑問は胸に抱え続けたまま。
 恐らく、老年学を学ぼうと考えたのも、この思いがあったからですし、85歳になった今でも実は考えています。
 一人で気ままに暮らし、やりたいチアダンスにエレキギターウクレレを楽しみ、友だちと笑い、寝たいときに寝て、食べたいものを食べる。
「一体、何に文句があるのだろう?」と自分でも呆れるのですが、なんで生きているんだろうという思いは、拭い去ることができません。
 言い方を換えると、なんていうか、虚しいのです。
 でも、何をしたら虚しくなくなるのかがわからない。
 やっぱり、なんで生きているんだろうと思う。
 この生にあまり、意味がない気がする。
 健康だから言えると思いますが、いつ死んでもいい。
 これだけ楽しんできているのに、ここから先、自分の体と頭がままならなくなったらと思うと、今のうちに早く死んだほうがいいと思ってしまうのです。