イタリアからイタリアへ

イタリアからイタリアへ

こちらも内田洋子さんのエッセイ。
「落ち度のない人生なんて、いったいどこが面白いのよ」って、いいセリフですね。
しかしナポリに住むのはちょっと…(^_^;)

P120
 ・・・移民局からは、その後待てど暮らせど滞在許可証は発行されなかった。滞在期間の一年を終えいよいよ明後日には日本へ発つ、という段になって、友人は再び移民局まで私を連れて行った。
「だいじょうぶ。僕に任せて」
 件の担当者は一年前と同じ笑顔で言い、紙の山の麓あたりから私の書類を見つけ出すと、彼に渡したときのまま手つかずの申請紙にポンポーンと勢い良く受領印と承認印を押し、満面の笑顔で私に手渡した。
 イタリアから出国するために、イタリアでの滞在許可証を滞在の終わる直前に受け取った私に、
「ほら、間に合っただろう?」
 友人は胸を張った。
 自分が育った世界での常識や慣習が、外でも同様に通じるとは限らない。生真面目で几帳面な人には、なかなかそれが通じない。さらに博識な人ともなると、自分の世界観に絶対の自信があり他を認めない。良い世の中になるよう規則は作られ、それに従うのが人の常、と信じている。例外は不愉快で、邪魔。間違いは許さない、とその人たちは考える。
 ところがナポリは、例外と間違いで成り立っている。規則を前にすると、見えない力で一括りにされてしまうのではないか、と疑う。規則の周りをよく調べ、抜け道を探して、もし見つからなければ自分で新たに風穴を開ける。ナポリふうの融通であり、臨機応変、独自の解釈だ。
 風通しはよくなるけれど、開いた穴からは水も入り込んでくる。ここで生真面目な人たちなら、水浸しになる前に穴をふさぎ、水の流れを変えようとするだろう。
 ナポリでは、それでは生き延びていけない。
 流れ込んできた水に身を任せ、あるいは舟を浮かべ、逆らわずに流されてみる。着いた先で次を考えることにしよう、と考える。
 生きていれば、問題は目白押しである。いちいちたじろいだり抗したりしているうちに、もう別の問題が迫ってくる。原因解明と対処も大切だが、一掃しようと身を粉にするより、とりあえず問題とともに暮らしていく能力のほうがこの町で生きていくには必要である。欠点は、わかっていてもすぐには改善されないものだ。
「落ち度のない人生なんて、いったいどこが面白いのよ」
 短所を論われて、ナポリの人たちは憤慨し言い返す。


 ところで、少しパソコンから離れるので、一週間くらいブログお休みします。
 いつも見てくださってありがとうございます(*^_^*)