されど愛しきお妻様

されど愛しきお妻様 「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

発達障害のお妻様との共同生活が、どうやったらうまく回るのだろう・・・と苦労していた夫が今度は脳梗塞で倒れ、高次脳機能障害になり、そうなってみたらお妻様が何に困り、どういう状態であったのかが当事者としてわかるようになった・・・その過程が書いてある本です。
このお二人の場合、ということで、発達障害高次脳機能障害も、様々なタイプがありますが、
そういう診断を受ける方がこういう時はこんな状況なんだと、とてもわかりやすく書いてありました。

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 昨今はちょっとした発達障害ブームで、「発達障害はきらめく才能を持つ」的な前向き言説も世の中には嫌というほど出回っていますが、ちょっとこれはあまりありがたくないと僕は考えています。というのは、実際に当事者と暮らす側からすれば、綺麗ごと抜きで大変なことが多いし、その才能が開花しない当事者にとっては残酷で無責任な言説にも感じるから。脳梗塞で倒れる前の僕は社会的弱者を主な取材ターゲットにした取材記者でしたが、発達障害の当事者は多くの場合その才能を開花させるどころか、社会から排除と攻撃のターゲットになっている方が大多数のように感じてきました。
 数多くの当事者本や秀逸な支援本がある中であえて本書を書くのは、発達障害の当事者が、特に家族コミュニティの中で、共に暮らす者に傷つけられたり、逆に傷つけたりといった不幸せなケースが非常に多いからです。
 僕の妻もまた、幼少時代は家族に、そして僕と出会ってからは僕自身に、否定され続け傷つけられ続けましたし、僕自身も妻を支えていくことに大きな苦痛を感じながら生きてきました。
 なにもなければ、本当に傷つけ合うだけで終わってしまっていた夫婦かもしれない。
 けれども僕は脳梗塞になり、高次脳機能障害を抱え、日常生活や仕事の中で病前なら当たり前にやり遂げられた多くのことがまるで完遂できなくなるという経験をしました。それは比較的軽度のものでしたが、高次脳機能障害とは先天的障害である発達障害に対し、「後天的発達障害発達障害の中途障害バージョン」とも言える障害です。
 そして、妻と同じ障害の当事者感覚を得たことで、僕は初めて妻がなにに不自由を感じていて、なにがどうしてできなくて、それがどのように苦しくて、どのようにすればできるようになるのかを、身をもって知る機会を得ました。妻は障害の先駆者として僕を的確に支え、ふたりで家庭を抜本的に改革していきました。
 世の中では、パートナーが当事者という方や、不定形な発達をもつお子さんを抱える親御さんが、非常に苦しい思いをしています。我が家が家庭環境を改善した経緯はとても特殊だったとは思いますが、元定形発達で中途障害として高次脳機能障害を抱えることになってしまった僕が痛感したのは、周辺者も辛いが、なによりも当事者が理不尽な目に遭っているケースが多いのではないかということです。
 発達障害当事者とその家族が理解し合うために、本書がほんの少しでも手助けになってくれればと思います。