量子力学に関する話を読んでいると、意識(顕在意識と潜在意識)の話のような気がしてくるのが不思議でした。
P126
それから、と先生は続けた。
「量子力学には三つ目の時間がある」
・・・
「量子力学独特の非可逆です」
いったい何だ。
「観測したらもとにもどれないんだ。これは、熱力学と違う意味での非可逆です。これも、さっきの二つと関連づけることができない別のものです」
観測すれば非可逆?
「シュレディンガーの猫を思い出してごらんなさい。途中で開けて、猫が生きていたらまた閉めるということができない。つまり非可逆なんだ」
「なぜ閉められないんですか?」
「開けたらそこで実験が終わってしまうんだ。いまのはなかったことにすればいいでしょ、というわけにはいかないんだ」
「こそっと見られないのですか?」
「人間が介入したことで自然のあり方を変えてしまうのです。人間は自然に何の妨害を与えることなく、見る、つまり観測することはできない。観測すると相手の状態は変化するから、人間が手を出す前の生の自然がわからなくなる。これを不確定性関係といって、量子力学の深遠なところです」
「観測したら、なぜ相手は変化するのですか?」
「肉眼でも観測機器でも、「見る」という行為は相手に光のエネルギーを当てることです。日常の世界のマクロな物質は、光のエネルギーを当ててもビクともしないが、ミクロな素粒子は動いてしまってどこにいたのかわからなくなる。だから観測すると、相手の状態が変わる。つまり不確定性が生じる」
・・・
「ただしその後、この解釈は専門家のあいだでずっと論争になっている」
・・・
「だが、観測していなければもとにもどせる、つまり可逆になる。これが量子力学独特の時間です。・・・」