シュレディンガーの猫

「科学にすがるな!」――宇宙と死をめぐる特別授業

生と死と量子力学について。ここも大事なポイントというか、隠れてたことがチラッと見えるような…
ちょっと長くなりますが、書きとめておきます。

P100
 エネルギーのもとはまだ観測されていないのか。つまり私たちはどこから来たのか、まだわかっていないのか―私はぼんやり考えていた。
「死と生の話でいうとね」
 遠くから声が聞こえた。
「物理的にわれわれがすっかり消えることはない。憎たらしいことに、腐ったって原子はある。原子のある組立てがなくなるだけです」
 何をいっているのだろう。
「人間の生とは、原子の組立てや配置という、ある限られた時間のシステムです。顕微鏡レベルで見た生命とは、Aのふるまいをしていた細胞がBのふるまいに変わっただけといえる。細胞が腐る過程だって厳密な手順で腐る。生まれるのも死ぬのも、細胞はどちらもちゃんとした手順で変化するが、それを区別しているのは人間である」

P104
シュレディンガーの猫って、知ってる?」
「ええ、量子力学の入門書に必ず出てきます。でも、何度読んでもよくわからないのです」
 百年ほど前に、量子力学創始者のひとりであるシュレディンガーという物理学者が考えた、空想上の実験である。箱に猫と放射性元素と毒薬を入れ、外から見えないようにふたをする。放射性元素から放射線が出ると、毒ガスが出て猫が死ぬ仕かけになっている。
 猫は放射線で死ぬのではない。放射線が出てきたら、それをキャッチして毒ガスが放出され、そのガスで死ぬのである。そして、この猫が変わっている。見えない箱の中で、この一匹は、生きている猫と死んでいる猫が重なっているというのだ。
「こんな奇妙なことが起こるのは、放射線が出るというミクロのプロセスが、量子力学という不思議な理論で記述されるからなんだ」
 ・・・
「つまり、ミクロなもののふるまいは、確率でしかわからないということです。この量子力学の「不確定さ」にはいろいろあるが、シュレディンガーの猫での不確定とは、放射線が放出される時刻が確定的でないことです。明日かもしれないし三〇年先かもしれない。これは確率的にしかわからない。そしてこの放射線元素は、放射線の放出前でもあり放出後でもある、ということです。
 このことから、一か月たったとき猫は生きているか死んでいるかわからん、猫が生きている状態が何パーセントで死んでいる状態が何パーセントで重ね合っているんだ、という理屈を導く。・・・」
 ・・・
「・・・アインシュタインは、そんなバカなことはあり得ないといったんだ。・・・」
 ・・・
「見たらどちらかに確定するのに、それを記述できない理論は不完全で、その先をつくらなきゃいかんとアインシュタインはいったんだ」
 シュレディンガーがこんな仕かけを考えたのも、量子力学の奇妙さをあげつらうためだったという。
 ・・・
量子力学で世の中を解明しようと、湯川秀樹などの新人が張り切っていた時代に、アインシュタインは「あの量子力学は未完成でおかしい」といい続けて無視された。当時すでに、物理学者の中ではカリスマ的存在になっていた彼は、若い科学者に「量子力学を信じているのか」と怒っていた。そして人生後半の三〇年近く、物理学者の誰にも相手にされなくて孤独のうちに亡くなった」
 かわいそうに。
アインシュタインを惑わすくらい、量子力学は一種の魔物です。ファインマンという物理学者は、素粒子の運動のようすを求める方法を考え出したことでノーベル賞をもらった人です。そんな彼でも、受賞したときに「しかし量子力学は俺にもわからん」といった。わからないけれど、量子力学を自分はいくらでも使える、ともね。それほど不思議な理論です。わからないほうが使える」
「その後、いろいろ研究がなされた。そして一九八〇年あたりに、決まっているのにわかっていないだけか、それともほんとうに決まっていないのかが、レーザーなどで実験できるようになって、アインシュタインが考えたような修正はあり得ない、つまりその先はないという結論が出た」
 完全にアインシュタインの予測が間違っていたらしい。でも、どうしたって現実の猫にはつなげられない。猫が生きているか死んでいるかわからないなんて、そんなことは現実にはあり得ない。
「しかし自然はそうなんだ。量子力学は正しいことが証明されたからね。では、この人間が受け入れがたい理論は何なのか?」
 ・・・
量子力学は、いままでわれわれが見てきた世界の見方が間違っているのですよと、けちをつけてくるんだ。量子力学の不思議さは、理論の欠陥ではなく人間の欠陥だろうと、ぼくは考えている。人間は、自然を素直に見るようにはできていないんです」