原子とか、素粒子とか、電気的な作用とか

「科学にすがるな!」――宇宙と死をめぐる特別授業

いろいろと想像がふくらんだところです。

P79
「日常の現象のすべては、原子と原子の結びつきが変化する化学反応です。原子同士を結びつけるのは電子の働きで、原子核そのものは変化しない。ハイテク技術も、まわりの電子を操ることによって成り立っている。こっちの電子をあっちの電子に移すという技術です。物質は、基本的には電子がもつ電気の作用で成り立っているんだ。
 先生はおもむろにカップを手に持った。
「こうして物をつかまえると、私の手はここで止まる。カップと交わらない」
 私は妙な気になった。
「当たり前やと思うだろう。しかし、なぜ交わらないのかと考えてみる」
 先生は真面目な顔で続ける。
「なぜなら、カップに手を近づけたとき電気的に押し返すように反発しているからです。だから手とカップは交わらない。二つの原子が交わらないのは、電子と電子が電気的に反発するからです」
 そういうことだったのか。
「原子がつぶれないのも電子の電気力のおかげだし、原子がくっつくのも同じ力です。ぼくたちの体だって、原子の電気力がなくなれば、バラバラーッとなりますよ。光も電気の作用です。電子の状態が変わることによって、光を出したり吸収したりしているわけ。音も、空気を構成する原子が動く作用、つまり原子がほかの原子にぶち当たって伝わるものです。こんなふうに、光の強さや物質のかたさはぜんぶ、電気的な作用で成り立っている」
 ・・・
 先生は、むかしの教科書で見かける原子の構造図を描いた。まん中に原子核があって、周りを丸い電子が回っている絵だ。
「電子は素粒子です。しかし・・・素粒子はある場所を占めるものではないから、電子が軌道上のここにある、とはいえんのです」
 ・・・
「厳密にいうと、素粒子は粒でもなく波でもないんだ。粒的に見えるときと波的に見えるときがあるだけです。粒も波も人間が用意したイメージでしょ。自然はそんなことは知ったこっちゃないんだ。人間のために自然があるわけじゃない」
「じゃあどんなイメージを描けばいいのですか?」
「描けないんだよ」
「それじゃ気持ち悪いんです」
 ・・・
「自然をありのままに見ない修行をしなさい、というのがぼくの信念。人間が五感でふつうに受け取る自然がありのままです。ありのまま見るのは誰だってできる。でも、粒子のように見えるものを、それに騙されないようにするには修行がいる」
 どんな修行をすればいのだろう。中途半端な気分でいたら、先生がふといった。
「そもそも、原子は存在ではなく機能なんだ」
 存在ではなく機能!にわかにもやが晴れた気がした。
「われわれは、光を出す装置として原子に気づいたのです。最初に原子という粒を発見して、これは何者?と考えたわけじゃない。見えないものを見つけるときは、何か役割をしているから、そこに何かがあるのだろうと考えるんです」