みんな嘘つき?

快の錬金術―報酬系から見た心 (脳と心のライブラリー)

以前読んだ「予想どおりに不合理」が面白かったダン・アリエリーさんは、ちょっと嘘つきくらいが健康な状態と主張してるそうです。たしかに(^_^;)

P124
 社会行動学者ダン・アリエリーは、人がつく嘘や、偽りの行動に興味を持ち、さまざまな実験を試みた。彼の著書『ずる―嘘とごまかしの行動経済学』はその結果についてまとめた興味深い本である。
 ・・・
 ・・・アリエリーは言う。
「人は、自分がそこそこ正直な人間である、という自己イメージを辛うじて保てる水準いっぱいまで嘘をつき、ごまかす」。
 そしてこれがむしろ普通の傾向であるという。
 つまりこういうことだ。釣りに行くとしよう。そして魚が実際には四尾釣れた場合、人は大きな良心の呵責なく、つまり「自分はおおむね正直者だ」という自己イメージを崩すことなく、「六尾釣ったのだ」と自慢する。・・・人はそのくらいの嘘をごく普通に、あるいは「平均的に」つくというのだ。
 ・・・
 アリエリーの説は結局「人は皆少し嘘つき」であるということであろうが、それをもう少し心理学的な表現を用い、「人間はある程度の自己欺瞞は、持っていて普通(正常)である」と言い換えることが出来よう。これが含むところは大きい。人が真っ正直であろうとした場合、その人はむしろ強迫的な性格にならざるを得ず、病的とさえいえるかもしれないのである。
 昔こんなことがあった。・・・ある日私がナースステーションにあったボールペンをポケットにしまおうとするのを目ざとく見つけ、「先生、それは病院の備品ですよ」と注意してきたのである。私は最初オードリーが冗談を言っているのだと思い、「そうだね、泥棒になっちゃうね」とおどけて言ったが、オードリーはニコリともせず、大真面目である。・・・まだオードリーの大真面目さに気が付かなかった私は「じゃ、貸してもらうということでよろしくね」。ところがオードリーは姿勢を変えない。「ドクター、それはいけません。備品の持ち出しは禁止されています。」私がこの二〇年以上も前のエピソードを、彼女の名前や表情を含めて覚えているのは、彼女の融通の利かなさがあまりにも印象的だったからである。不思議なことであるが、私はオードリーを人生で出会った最も倫理的な人として記憶しているわけではない。むしろこれまでで一番「かわった」人たちの一人として思い出されるのである。
 では普通の人たちは、なぜ少しだけごまかすのだろうか?それはそうすることが快原則に一致するからだ、というのが私の考えである。魚釣りの成果を四尾と言うより六尾と言った方が自慢のしがいがある。・・・あとは嘘をついていることによる良心の呵責がどの程度そのいい気分を損なうかだ。その拮抗点が平均的に十尾でもなく、五尾でもなく、六尾ということだ。・・・