印象に残った言葉

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)

 この本にはいろんな人の言葉が載っていて、印象的だったものがいくつかありました。

P76
 スイス人から幸福についての意見を募るために、友人の助けを借りてインターネット上にブログを立ち上げてみた。すると、その中の書き込みの一つが私の目をくぎづけにした。いまだにその瞬間を覚えている。
「幸福というのは、おそらくこういうものだと思う。自分がどこか他の場所にいるべきだとか、他のことをすべきだとか、他の何者かになるべきだとか、そういうふうに思わずにいられること。・・・」

P139
 治療中、何が起きているのかと尋ねてみる。そのときリンポチェは何を思い浮かべているのだろうか。「神への祈りに集中しています。仏陀ではなく、すべての神に祈りを捧げています。鏡に映った影のようなものです。われわれは消え去ります。神も私も。そして一つになるのです」
 ・・・
「すべては夢です。現実ではありません。いつかそれがわかる日が来るでしょう」リンポチェはそう言ってから声を立てて笑うと、ふたたび静かにお経を唱え始めた。

P250
 ・・・たとえばカントは、「幸福とは理性の極致ではなく、想像力の極致だ」と語っている。つまり、幸福になる第一歩はそれを想像することにある。

P254
 ・・・アイスランドの正式な挨拶は「コムドゥ・サイル」。字義どおりに訳せば「幸せになりましょう」となる。別れの挨拶は「ヴェルトゥ・サイル」。これは「幸せになれますように」を意味している。「元気でね」とか、「また会いましょう」よりも、はるかにすてきな挨拶だと思う。

P458
 またしても、人生はマーヤー(幻)だというヒンドゥー教の教えが頭に浮かんだ。人生はゲームだと受け入れてしまえば、チェスの試合と変わらない。世界はずっと軽くなり、ずっと幸福になる。個人の失敗など、「悩みの種としてはサマー・シアターの公演で敗者の役割を演じるほどのことにすぎない」と、ヒューストン・スミスは『世界の宗教』の中で述べている。人生が一幕の劇にすぎないとすれば、何の役を演じるかは、それが役回りにすぎないと知っているかぎり、取るに足らないことになる。アラン・ワッツが述べているように、「真の人間とは、演技と知りつつ誠心誠意それを演じる人間である」。