世界しあわせ紀行

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)

幸せつながりで「世界しあわせ紀行」という本も読んでみました。
フィジーの本の対極を行くようなトーンですが、面白かったです。
著者のシニカルな文章も、なんかクセになる味わいが(笑)
「はじめに」にはこんな風に書いてありました(^_^;)

P11
 ・・・私はもとより幸せな人間ではない。この世に生を受けて以来、ずっとそう感じていた。子供のころ、『クマのプーさん』の中で最も好きだったのはイーヨー(年寄りの灰色のロバ、森の中に一人ですむひねくれ者)。人類の歴史が始まって以来、かりにどの時代に生まれていたとしても、私はいたって平凡な人間として一生をすごしていたにちがいない。歴史を振り返ってみると、幸せというのは善良な人や、ごく少数の幸運な人にだけ許された特別なものだった。しかし現在では、幸せは誰でも得られるものだと考えられている。そして誰もがそれを求めている。そのため私も含めて実に多くの人が、すこぶる現代的な病に冒されている。歴史学者のダリン・マクマホンが「幸福でないことの不幸」と名付けた病である。この病は、まったくもって愉快なものではない。
 多くの人と同じように、私もこの悩みと長年付き合ってきた。自己啓発に関する本を手当たり次第に読みあさり、自宅の本棚はその手の本で埋め尽くされている。いまではそれは、長いあいだ不安や恐怖と戦ってきたことを示すモニュメントと化している。これらの本によると、幸せは自分の心の奥深くに存在している。もし私が幸せでないと感じているのなら、自分の心の中をもっと深く掘り進める必要があるという。・・・
 ・・・
 ・・・私は、「重要なのは目的地に到達することではなく、新しいものの見方を獲得することだ」というヘンリー・ミラーの言葉を胸に刻みつつ、楽園探しの旅に出ることにしたのである。
 ・・・
 ・・・この旅が骨折り損に終わるかもしれないことは、よくわかっている。アメリカの著述家で哲学者のエリック・ホッファーが言うように、「幸福の探求は不幸の主たる原因の一つ」なのである。たしかにそうかもしれない。でも、私はすでに不幸だ。失うものは何もない。

ちなみにモルドバへの旅は、こんな文章で始まっています(・_・;)
P298
 幸福について考えているうちに気分が落ち込んできた。私の不平家仲間の一人であるドイツの哲学者、ショーペンハウアーがかつて述べたように、「自分が不幸だと思っている人は、幸せそうにしている他人を見るのが耐えられない」。
 まったくそのとおり。いまの私に必要なこと、いまの私を元気づけてくれることは、不幸な土地への旅だ。相対幸福の法則(幸福は相対的に決まる)によると、不幸な土地は私の気分を高めてくれる。なぜなら、そこに行けば、自分がまだ経験したことのないどん底の惨めさを実感できるから。
 不幸な土地は幸福の本質についての貴重な洞察も与えてくれる。私たちは一つの物事をその反対の物事によって理解する。熱さは冷たさがなければ何の意味もない。・・・幸福な土地がその地位にあるのは、少なくともある程度は不幸な土地のおかげなのである。