今度はマロンクレープ

病の神様―横尾忠則の超・病気克服術 (文春文庫)

今度はマロンクレープを食べたら治っちゃったという話。しかも親子でそういう体質?みたいです(笑)

P156
 確か冬だったと思う。この日、ぼくは妻とシャンゼリゼーにある日本の有名なレストランに夕食を食べに行った。食事が始まって間もなく、ぼくは急に気分が悪くなった。食欲もなく、その場に座っているのも苦痛になってしまった。
 すぐにタクシーを呼んでもらってベジャールの家に帰った。原因はわからないが、激しい頭痛と高熱に襲われた。病院に行くにも、薬局に行くにも、ぼくも妻も言葉が話せない。第一、体を動かすだけで、頭が割れんばかりにズキンズキンと痛む。妻は心配してウロウロしているだけで、冷やしたタオルをぼくの額に当てたりしている。その時ふと、マロンクレープを食べたら治るかもしれないというような直感が働いた。そこで妻にマロンクレープを買ってきてくれるように頼んだが、彼女は食事中に気持ち悪くなったのだから、そんなおやつみたいなものは食べない方がよいと言う。だけど、マロンクレープが啓示のようにぼくの頭の中に降りてきたんだ!何をまごまごしている、一刻も早く買って来てくれ、とわめくものだから、妻はマロンクレープを買いに街に飛び出して行った。
 マロンクレープはぼくの大好物である。食べたいという欲求がある以上、回復の兆しかもしれない。妻が買ってきたマロンクレープをペロリと食べたぼくは、急に体全体に力がみなぎり始めた。あんなに頭がガンガンしていたのもピタリと治まった。額に手を置いてみると熱が下がったのか、冷たい。そればかりか体の中からエネルギーが湧き出し、逆にじっとしておれなくなった。
「さあ、深夜映画を観に行こう」
「やめなさいよ」
「いや行く」
「ダメです」
「行かなきゃ死ぬ」
 と言って、とうとう深夜のパリの繁華街に、気乗りのしない妻を伴って出て行った。・・・
 病気になると食欲がなくなるが、それでも食べたいものが、時にはある。ぼくの場合はおはぎだったり、アイスクリームだったり、ドラ焼きだったり、水瓜だったりと甘いものが中心だ。そういうときは何でもいい、好きなものを食べれば病気など吹っ飛んでしまうのである。
 ぼくの父が危篤になり、遠方から集まった親戚中が父の病床を取り巻いている時、父が急に「ボタ餅が食べたい」と言い出した。・・・医者からは食べさせるとすぐ死にますと言われていた。・・・どうせ助からないのだったら最後は好きなものを食べさせたら、ということになって、ぼくは自転車でボタ餅を買いに行った。
 父はボタ餅を手にして、自分で口の中に入れ、ほおばった。全員固唾を呑んで父の死の瞬間を待っている。ところがひとつぺロッと平らげ、父はもうひとつ口の中に入れた。
 医者の心配をよそに、父はこの日から十年近く生きた。ボタ餅がどんな治療よりも効力があって父の命を救ったわけだ。