ぜんざいの導き

横尾忠則の超・病気克服術 病の神様 (文春文庫)

この話もすごいです…ぜんざい食べたさに導かれ…というお話。

P96
 十ヶ月以上も苦しんだ膝の痛みがたった一晩で治った話をしよう。
 かなり以前のことだが、膝が理由もなくいつの間にか痛くなっていた。・・・そんな時、京都の知人から「腰が悪く悩んだ末に中国鍼の先生に治しておらった」という情報を得た。
 すぐに妻と一緒に京都へ行った。翌日に中国鍼の予約を入れていたが、着いたその日、急に伏見稲荷神社の山の頂上にある茶店のぜんざいが食べたくなった。以前に一度食べたことがあったからだ。・・・
 こんな僕の発想に対して、妻は「足が悪いのに山に登るなんて止めましょう。ぜんざいくらい京都の町の中にあるじゃないですか」と、山登りを阻止しようとする。
 でもぼくは、特定の店で食べたいと思ったものを他の店で代替するわけにはいかないと主張。口論しながらも、妻と知人の三人で山を登ることになった。妻はその途上何度も「降りましょう、止めましょう」を連呼した。
 そうは言われても、食べたいものは食べたい。平坦な道を歩く時でさえ痛むのに、急な山道を登るのは正直なところ非常につらかったが、もう意地を張るしかない。・・・
 やっと頂上に到達した。汗をかいた体には頂上の風が気持ちいい。早速ぜんざいを注文した。小さな湯のみ茶碗のような器に小さな餅がひとつ、あずきの量も多くない。それほど美味しくもないぜんざいに、悪い足を酷使してまで食べに来る理由は大してなかったような気がしないでもなかった。
 ぜんざいを食べたら用はない。二十分もしないうちに山を降りることになった。妻と知人は言葉にはしなかったものの、腹の中では怒っているか、あきれているに違いない。そんな気持ちはぼくも同じだった。自らの性格に自分が振り廻されているのがよくわかっていたからだ。
 この話の核心はここからである。降りながらハッと気づくと、参道とは別の、全く人通りのない歩きにくい山道を降りているではないか。
「道を間違ったみたいだね」と言いながらも、とにかく降りるしかない。山の中腹辺りまで来た時、赤いのぼりが沢山並んでいる場所にお地蔵さんが立っていた。後ろを歩いていた妻が「このお地蔵さんはあなた達のお地蔵さんじゃない?」と言った。見ると赤いのぼりには「足腰不動」と書かれていた。
「せっかくだから参っていこう」と、線香を立てて、その煙で膝をさすったりした。御札も売っていたので験をかついで一番安い百円のものを買って、再び下山した。一体何のために山に登ったのかよくわからない。足は登る前より痛みが激しくなっている。・・・
 その夜は京都のホテルに宿泊した。ベッドに入っても、膝は熱を持っているのかズキンズキンと鼓動しているみたいだった。寝入りばなだったが、ふと頭をかすめたのは山で買った御札で膝をなぜてみては?という直感だった。ベッドの中でそうしていた。でも睡魔に襲われていたので、それほど長くは続けられなかった。
 翌朝目を覚ますと同時に妻は、「足はどうですか」と聞いてきた。・・・ベッドから降りて二、三歩歩いてみて、膝に変化が起っているのに気づいた。全く痛みがない!一体どうしたことか。部屋の中を行ったり来たり、ベッドの上から跳んでみたりもしたが、不思議なことに痛くもかゆくもない。
 その瞬間、知らず知らずのうちに山道に迷って、足腰不動にたどり着き、お参りをしてベッドの中で御札で膝をなぜた様子が、頭の中に蘇った。奇蹟が起こったのか。神仏の加護で病気が治ったという話をよく聞くことがあるが、わが身に起こるとどう解釈していいものか、正直いってマユツバものだと、とまどってしまう。