思いの力

病の神様―横尾忠則の超・病気克服術 (文春文庫)

思いの力が強すぎるのも大変ですねと思うエピソード…

P86
 北原さんが玄関に現れた時、ぼくはあわてて二階に物を取りに上がろうとして階段で足を踏み外し、足の親指をいやというほどぶつけた。息も止まるほどの痛さに声も出ない。でもなんとしても北原邸に遊びに行きたい思いが強く「大したことないですよ」とかなんとか言ったものの、痛くて靴が履けない。車の中ではシートに足を横たえたままだった。だけど現地に着いてからは、皆の心配をよそに一日中、北原さんの海の家でゆっくり遊ばせてもらった。
 翌日、行きつけの医院でレントゲンを撮ってもらった。レントゲンではわからなかったが親指は紫色に大きくはれ上がって見るからに重傷という感じがした。・・・一ヶ月が経ち、二ヶ月経っても痛みは取れず相変わらず足を引きずったままだ。やはり大きな病院に行くべきだと思い、・・・妻を杖に足を引きずりながら病院の門をくぐった。
「別に治療することないでしょう。それとも指に穴でもあけますか」
 と、外科の先生は本気とも冗談ともとれない理解不能なことをおっしゃる。
「薬だけでも出していただけますか」と聞いても、「必要ないでしょ」の答え。・・・
(ああダメだ、この先生は)と思ったその時、(ちょっと待てよ、もしかしたらこの先生は、ぼくをけが人扱いしていないようだ。実際はすでに治っているのに、ぼくが「治っていない!」と強情に決めつけているだけなのかもしれない。きっとそうだ。もう治っているんだ。歩きたくないと思っている自分の頭こそ病気なんだ。そうだ、歩けばいいんだ)と認識したとたん、奇蹟が起こった。腕をささえられ、引きずりながら入ってきたその同じ足で、なんと病院内をスタコラ、スタコラと歩いているではないか。なんだったら走ってもいいんだよ、という気分になってアッという間に足は完治したのであります。
 紹介してもらった耳鼻科の先生のところに報告に行くと、
「そうでしょう、とにかくあの先生は名人なんです。ヨカッタですね」と先生も嬉しそうだ。・・・ 
 ・・・
 これによく似た現象は以前にもあった。二十代の頃、会社勤めをしている時、足のくるぶしが痛く、いつも踵を浮かして歩いていた。靴が小さい石にあたるだけでも痛かったので、安月給なのに数ヶ月も毎日往復タクシーで渋谷の先の池尻から銀座まで通っていた。お金がなくなるのも時間の問題だった。ぼくの事情を見かねた会社の人がある病院を推薦してくれた。
 ぼくの足を触りながら診た先生は「もう治っているよ、ちょっとそこから歩いてごらん」と言った。せっかく先生が「治っているよ」と言うのに、足を引きずってしまうと悪いと思ったぼくは痛みをこらえて普通に歩く格好をしてみた。すると「あら不思議」。踵を浮かさなくても歩けるではないか。・・・
 ・・・
 病気を恐れるあまり、知らず知らずのうちに病気を愛してしまっている場合があるのではないかと思う。病気を手放したくないという思いが頭の中にあるのだ。何でも愛すればいいというものでもなさそうだ。本当の愛は愛の対象を自由にしてやらなければならないのに、愛がいつの間にか情に変わってしまうのである。情になると、対象を自分の手元に引き寄せ、相手である対象の自由を奪い、執着心を持ってしまうのである。・・・