違う立場から見てみると

脇役力<ワキヂカラ> 生き残るための環境づくり (PHP新書)

控え選手の立場になってみてわかったこと、そこからさらに学ぼうとする姿勢、大事だなと思いました。

P38
 海を渡って三年目。ついにぼくは、開幕メジャー二五人枠をこじあけました。
 そして、ふと気づいてしまったのです。アメリカでベンチに座りつづけてはじめて、これまで学ぶべきものをたくさん見逃してきたのだなぁということに。日本でレギュラーとしてプレーしていたころには、その点に気づかず過ごしてしまっていたのです。
 いつの間にかぼくは、日本でのレギュラー選手というポジションに甘んじてしまっていたのかもしれないということ。日米を問わず、何事においてもレギュラー選手が優先されるのは、勝負の世界では当たり前です。
 そのうえで、ぼくは気づいてしまったのです。レギュラー選手は、試合に出ることを前提にしての調整が可能ですが、控えの選手は、刻々と移り変わる状況に応じたそれが求められます。しかも、万全の調整をしても、試合の流れいかんでは出番がないこともザラ。
 日本ではレギュラーだったぼくは、控えの選手たちが、いかに一分一秒も気が抜けない状態で試合に臨んでいるのかに、みずからが脇役になったことではじめて気づくことができたのです。
 控えの選手とレギュラーの選手とではベンチから見える野球がまったく違っていること。控え選手は、自軍が守備についているあいだ、ベンチに残った控え選手どうしで話をします。すると、日本では気づけなかった、控え選手が何を考えてプレーし、レギュラー選手に対してどんな感情を抱いているかを知ったのです。
 日本時代には考えもしなかったことなのですが、自分が控えという脇役に徹しているからこそ、レギュラーという主役に求める部分が生まれ、それと同時に自分を輝かせてくれるであろう「脇役力」を磨こうと思えたのです。
 そして、ぼくはベンチでの定位置を決めます。メジャーリーグを代表する名将のうしろの席に陣取り、監督と頭の中をいっしょにしようと考えたのでした。
 名将の名は、トニー・ラルーサ。三十四歳の若さでメジャーリーグの監督となった男。のちに監督として、二度目の世界一をセントルイス・カージナルスで達成する名将のまうしろの特等席で、ぼくは自分の「脇役力」に磨きをかけようと誓ったのです。
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 いまふりかえっても、お金を払ってでも確保したいと思わせるその特等席は、ぼくに野球の奥深さと「脇役力」の重要性を気づかせてくれたのでした。
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 適材適所という言葉がありますが、トニー・ラルーサほど選手の使い方がうまい監督もいませんでした。・・・レギュラーから控えまで、一人ひとりが一瞬たりとも気が抜けないほど、最後まで「必要とされている」感を持たせ続けるのがうまいのです。
 ・・・要は、選手一人ひとりの性格を完全に把握しているんですね。