我慢しないでやりたいことをやる、ほんとに大事なことだと…
言葉で言うほど簡単なことではないけれど、我慢しないようにすればするほど、本来のお役目に近づける気がします。
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「自分が本当にやりたいことを探していたと言えば聞こえはいいけれど、別の言い方をすれば、忍耐力のない、飽きっぽい、ただの器用貧乏だった」と。
忍耐力のなさも飽きっぽさも、普通はあまり好ましくない性質と考えられている。
りん自身もそう思っていたし、実を言えば彼女の夫、小林繁肇も彼女が学校をつくると言い出した時、それを心配した。・・・
そうならなかったのは、彼女の全存在をかけて取り組むべき仕事だったからだ。彼女の言い方を借りるなら、それが彼女の運命だった。
そういう意味では、忍耐力がなくて、飽きっぽかったからこそ、りんは自分の運命に出会えたのだとも言える。
何ごとも忍耐が大切だと教えられて我々は育つ。
そのこと自体は間違いではないのだろうけれど、りんの半生を見ていると、もう少し別の側面も考えるべきではないかと思えてくる。
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忍耐力はもちろん大切だけれど、その忍耐力を発揮する前に、自分は何をなすべきかという問題を、もう少し丁寧に考える必要がある。
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努力が大切であることは否定しない。
けれどこれからの時代は間違いなく、自分のなすべきこと、自分が何に対して努力を傾けるべきか、そのことをもっと丁寧に考えるための教育が必要とされるはずだ。競争して豊かな生活を勝ち取るための教育ではなく、世界を本当の意味で豊かな場所に変えていくための教育だ。
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少なくとも、自分たちの正義を振りかざし、強者が弱者を抑圧するというやり方で、問題を解決する時代を終わらせなければいけないことは明白だ。
それを他人事と思うか、それとも自分たちの問題と考えるか。